疾風怒涛極寒冷暗所卒論執筆地獄が終わりを告げるとき・・・
2001年1月15日しばらく疾風怒涛極寒冷暗所卒論執筆地獄が続いていたが、どうにかやっとこさ、終わりそうである。
いや、ずいぶんと大げさな地獄だが、ただ単に自分の家で昼間っから切羽詰った卒論を書きつづけていただけなのだが、それがやっと結論が書き終わりそうなのである。
まったくもって昼間っからパソコンに向かっているのはツライ。
外は日が照っているのに、なぜ自分はその日の光の恩恵を受けずに、家に閉じこもっているのか・・・
そんな疑問がふつふつと湧き、昼を過ぎて、冬の貴重な日の光がまぶしく見える時間に、そのユーウツさがピークに達するのである。
(なぜ日が照っているのに、日の光を見れないのかというと、我が家が悪いことに「真西」向きであるからである)
「書を捨てよ、街へ出ろ」にならって、卒論を捨てて外に出たかったのだが、それだと4月にめでたく六年目を迎えてしまうことになる。
さすがにそれはマズイ。
「いかに仕事をせずに暮らせるか」を常日頃考えているものの、さすがに働かないと暮らせない。
一応4月からの働き口も決めた。
これをフイにするのは、ためらわれるってもんである。
しかしほんとにもう寒いのが大嫌いなのである。
旅に出たい、っとフッと思った。
あの雨季だか乾期だかしらんが、それに関係なく蒸し暑いアジアの熱風高熱多湿的気候が実に懐かしくなった。
こうなるともうどうしようもない。
なんで人は旅に出るのか。
サワキコータロウとか、フジワラシンヤとか、いろいろ名をはせた旅人たちは、その疑問を考えはするものの、答えは出ていない。
僕の場合、冬に限っては案外答えは簡単である。
寒いのが嫌いなのである。
旅しているという感覚が、自分の体の指先からつま先まで全てを包んで、それが僕の全ての細胞を活性化させ、目に入る景色、何十にも重なった街のざわめき、肌につっかかる感じの少し湿った空気のざらついた肌触り、踏みしめる赤土の大地、、、それら全てが僕に新鮮さを送り込む。。。
とかなんとかかっこいいことを言ってもみたいが、実際には「あー、あったけー、来て良かった」の単純な思考の方が勝ってしまうのである。
ここまで書いてふと気づいた。
暖かいところに住めばいいのである。
結局僕は、旅情だか、なんだか、そーいうかっこいいものはよくわからない、得だか損だかわからない性格の持ち主なのである。
(と、言いつつも、旅に出た後はいろいろとコリクツをこねくりまわして、その旅に出ているときの感覚を主張してしまうのだけどもね)
いや、ずいぶんと大げさな地獄だが、ただ単に自分の家で昼間っから切羽詰った卒論を書きつづけていただけなのだが、それがやっと結論が書き終わりそうなのである。
まったくもって昼間っからパソコンに向かっているのはツライ。
外は日が照っているのに、なぜ自分はその日の光の恩恵を受けずに、家に閉じこもっているのか・・・
そんな疑問がふつふつと湧き、昼を過ぎて、冬の貴重な日の光がまぶしく見える時間に、そのユーウツさがピークに達するのである。
(なぜ日が照っているのに、日の光を見れないのかというと、我が家が悪いことに「真西」向きであるからである)
「書を捨てよ、街へ出ろ」にならって、卒論を捨てて外に出たかったのだが、それだと4月にめでたく六年目を迎えてしまうことになる。
さすがにそれはマズイ。
「いかに仕事をせずに暮らせるか」を常日頃考えているものの、さすがに働かないと暮らせない。
一応4月からの働き口も決めた。
これをフイにするのは、ためらわれるってもんである。
しかしほんとにもう寒いのが大嫌いなのである。
旅に出たい、っとフッと思った。
あの雨季だか乾期だかしらんが、それに関係なく蒸し暑いアジアの熱風高熱多湿的気候が実に懐かしくなった。
こうなるともうどうしようもない。
なんで人は旅に出るのか。
サワキコータロウとか、フジワラシンヤとか、いろいろ名をはせた旅人たちは、その疑問を考えはするものの、答えは出ていない。
僕の場合、冬に限っては案外答えは簡単である。
寒いのが嫌いなのである。
旅しているという感覚が、自分の体の指先からつま先まで全てを包んで、それが僕の全ての細胞を活性化させ、目に入る景色、何十にも重なった街のざわめき、肌につっかかる感じの少し湿った空気のざらついた肌触り、踏みしめる赤土の大地、、、それら全てが僕に新鮮さを送り込む。。。
とかなんとかかっこいいことを言ってもみたいが、実際には「あー、あったけー、来て良かった」の単純な思考の方が勝ってしまうのである。
ここまで書いてふと気づいた。
暖かいところに住めばいいのである。
結局僕は、旅情だか、なんだか、そーいうかっこいいものはよくわからない、得だか損だかわからない性格の持ち主なのである。
(と、言いつつも、旅に出た後はいろいろとコリクツをこねくりまわして、その旅に出ているときの感覚を主張してしまうのだけどもね)
ここがヘンだよ日本人に物申す
2001年1月3日まあ、もともと冗談みたいな番組なのであろうから、そんなに噛み付く必要はない。別にそんなにものすごく関心があるわけでもないし、詳しく調べたわけでもない。
でも、ちと今日のこの番組はヒドイのではないだろうか。
「○○人は、・・・」の連発。
「珍習慣」と、イスラム教の風習を取り上げる。
それ以外にも、他国の常識を笑いとして取り上げるものが多数。
韓国の取り上げ方に疑問。(多分毎回どこかしらの国がやり玉にあがるのだろうが)
テリー伊藤に拍手起きすぎ。
まあそんなに見ていないので、こんなもんなのだが、どうにも差別を助長させたり、議論のためのたたき台としては極端な例が多すぎたように見受けられる。
しかし番組表を見て少し納得。
「ここがスゴぃゾ日本人新世紀ホメゴロシSP 正月から世界ビックリ仰天ニュースで心臓が止まるかと思った人もロシア岩石吸引家族をウソだと怒る人も離散家族の大感動の再会にワンワン泣いちゃう人も立派な日本人ですよ▽世界に通用しない芸▽関西オバチャン軍団が花の都パリをシバキ倒したら…(23:24)」
ここまで過激コピーを並べてまで、視聴率を撮りたいのだったら、そりゃあれぐらい過激な内容にしないとつりあわないのであろう。
ここまで開き直られた確信犯に物申す気力もなくなってきてしまった。
テレビマンの開き直りに降参した本日のテレビ事情であった。
(もちろんこの演出には相当の議論がなされているのだろう。その点については何も言うことはない。そうして議論を重ねて放送しているとしても、やはりこの番組はやりすぎだと思う。)
でも、ちと今日のこの番組はヒドイのではないだろうか。
「○○人は、・・・」の連発。
「珍習慣」と、イスラム教の風習を取り上げる。
それ以外にも、他国の常識を笑いとして取り上げるものが多数。
韓国の取り上げ方に疑問。(多分毎回どこかしらの国がやり玉にあがるのだろうが)
テリー伊藤に拍手起きすぎ。
まあそんなに見ていないので、こんなもんなのだが、どうにも差別を助長させたり、議論のためのたたき台としては極端な例が多すぎたように見受けられる。
しかし番組表を見て少し納得。
「ここがスゴぃゾ日本人新世紀ホメゴロシSP 正月から世界ビックリ仰天ニュースで心臓が止まるかと思った人もロシア岩石吸引家族をウソだと怒る人も離散家族の大感動の再会にワンワン泣いちゃう人も立派な日本人ですよ▽世界に通用しない芸▽関西オバチャン軍団が花の都パリをシバキ倒したら…(23:24)」
ここまで過激コピーを並べてまで、視聴率を撮りたいのだったら、そりゃあれぐらい過激な内容にしないとつりあわないのであろう。
ここまで開き直られた確信犯に物申す気力もなくなってきてしまった。
テレビマンの開き直りに降参した本日のテレビ事情であった。
(もちろんこの演出には相当の議論がなされているのだろう。その点については何も言うことはない。そうして議論を重ねて放送しているとしても、やはりこの番組はやりすぎだと思う。)
別の意味でカンボジアブームが巻き起こっている近日である
2000年12月30日なんたら人はかんたらだ、的な言い方はあまり好きではないのだが、東南アジアの人々はなんともおおらかなのんびり屋が多い気がする。
特に思ったのはカンボジア。
あそこの人びとは、仕事をしているのだか、休んでいるのだか全く区別のつかない生活をしている。
日本でもたまにものすごい田舎に行くと、一時間に車が数台しか止まらないような道路沿いに、雑貨屋だかやおやだかコンビニだか、なにがなんだかわからない、それらの全部混ざった、ひどいとこだと薬屋とか酒屋とかまで混じってて、日本の酒類販売法はどうなっているんだ的なゴチャゴチャスッタモンダ店が唐突に出現して、そこのおばちゃんなんかは、客が来ても決して接客をしようとせず、のんびりテレビを見ながら茶のみ話に花を咲かせる様子の店が見受けられるが、カンボジアの店は、ほとんど全てがそんな感じである。
まさに2千万総ゴチャゴチャスッタモンダ店化現象である。(カンボジアの人口は知らないが)
まあ首都プノンペンなんかはもう少しましで、客が来ることは来るので、接客はしてくれるのだが、それでもやはりのんびり茶のみ話に花を咲かせていたり、勤務中なのだか、炊事洗濯家事状態に陥っているのだか区別がつかないところが多い。
別段もともと勤労意欲のあるほうではないので、カンボジアのせいにするのは、筋違いなのかもしれないが、それらの風景を見た後では、ますます勤労意欲減退の状態が見受けられる今日このごろである。
果たして血気盛んに5時まで男をしている人生は幸福なのか。
生活力をつけて、家族を養って、もしものことが起きたときのために多少の蓄えを備え、土日の休みやら、お盆正月休みを心の片隅の薬箱にして、ひたすら働くことに意味はあるのか。
まだ働いていないから、そのような問いについて答えは出てこないのだが、考え込んでしまうのである。
人間の認識と言うのは、所属する社会によって著しく異なるので、何が自然で、何が普通なのか、という議論をすることに、あまり価値はない。
しかし東南アジアちっくな生活と、東京あり地獄的な働きあり生活。どちらが自然で、生きている人間の生活かは、一目瞭然な気もするのである。
こういうことは、十年二十年と、働きありのように働いた人が言うと、実に含蓄があり、考えさせられるのであろうが、さすがに働きたくないなー、と常日頃公言している人間が言っても全く説得力がない。
自分ですらそう思うのだから、書かなければいいのだが、とりあえず書いてしまった、忙しいはずの年末であった。。。
特に思ったのはカンボジア。
あそこの人びとは、仕事をしているのだか、休んでいるのだか全く区別のつかない生活をしている。
日本でもたまにものすごい田舎に行くと、一時間に車が数台しか止まらないような道路沿いに、雑貨屋だかやおやだかコンビニだか、なにがなんだかわからない、それらの全部混ざった、ひどいとこだと薬屋とか酒屋とかまで混じってて、日本の酒類販売法はどうなっているんだ的なゴチャゴチャスッタモンダ店が唐突に出現して、そこのおばちゃんなんかは、客が来ても決して接客をしようとせず、のんびりテレビを見ながら茶のみ話に花を咲かせる様子の店が見受けられるが、カンボジアの店は、ほとんど全てがそんな感じである。
まさに2千万総ゴチャゴチャスッタモンダ店化現象である。(カンボジアの人口は知らないが)
まあ首都プノンペンなんかはもう少しましで、客が来ることは来るので、接客はしてくれるのだが、それでもやはりのんびり茶のみ話に花を咲かせていたり、勤務中なのだか、炊事洗濯家事状態に陥っているのだか区別がつかないところが多い。
別段もともと勤労意欲のあるほうではないので、カンボジアのせいにするのは、筋違いなのかもしれないが、それらの風景を見た後では、ますます勤労意欲減退の状態が見受けられる今日このごろである。
果たして血気盛んに5時まで男をしている人生は幸福なのか。
生活力をつけて、家族を養って、もしものことが起きたときのために多少の蓄えを備え、土日の休みやら、お盆正月休みを心の片隅の薬箱にして、ひたすら働くことに意味はあるのか。
まだ働いていないから、そのような問いについて答えは出てこないのだが、考え込んでしまうのである。
人間の認識と言うのは、所属する社会によって著しく異なるので、何が自然で、何が普通なのか、という議論をすることに、あまり価値はない。
しかし東南アジアちっくな生活と、東京あり地獄的な働きあり生活。どちらが自然で、生きている人間の生活かは、一目瞭然な気もするのである。
こういうことは、十年二十年と、働きありのように働いた人が言うと、実に含蓄があり、考えさせられるのであろうが、さすがに働きたくないなー、と常日頃公言している人間が言っても全く説得力がない。
自分ですらそう思うのだから、書かなければいいのだが、とりあえず書いてしまった、忙しいはずの年末であった。。。
仮名がテレビをぼやけさせていくのである
2000年12月26日どーでもいいことだが、ひとつ。
「キスいや」の出演者って、仮名だったのか・・・
いや、別にショックを受けるほどのことではないのだが、うーむ、残念。
キスいやってのは、日本テレビの木曜深夜に島田シンスケ司会でやってる、カップル紹介バラエティみたいなの。新婚さんいらっしゃいの、カップル版である。
なんじゃ、よくある素人出演番組やん、と言ってしまえばその通りなのだが、これがまたオモロイのである。
何がおもしろいのかというと、やはり普通のカップルなのに、実にあっけらかんと普段の生活をペラペラしゃべってしまうところだろうか。
こっちのほうがドキドキしてしまうぐらい、出会いから、お互いの隠し事から、なんでもかんでもしゃべってしまう。お互い隠してた浮気をテレビで話すのもどーかと思うのだが・・・。
と、神経ワカラン的なことを言っておきながら、毎回毎回見るとオオワライしてしまう不肖者なのである。
で、仮名な話であるが、まず仮名だと聞いて、急にリアリティが薄れてきてしまった。
ロンブーのがさ入れがやらせだったというのは、もう結構有名な話だと思うが、なんだかそれに近いような気がしてきてしまったのだ。
実はキスいやの出演者もみんなヤラセで、その出演者の周りの人たちだけに、周知の事実になっているかのような、、、いや、別にショックは受けないが、なんだか腹が立ってしまう。
しかし彼らは何に対して仮名にしているのだろう。
顔が出ているわけだから、知り合いには隠しても無駄なわけである。
と、すると自分の知らない人たちに向かって仮名にしているわけで、有名人が芸名を使うのは、自分の家族や両親やらへの配慮のようなものでわかるのだが、普通の人たちが仮名を使うとなんだか悪いことをしているか、危ない組織に関わっているか、アダルトビデオに出ているかなんかの人たちのようではないか。しかしそういう人たちがテレビに出るときは、モザイクがかかっていたり、声が変声期になっていたりと、いろいろ身分を隠す工夫をするわけで、やはり名前かくして顔隠さず的な行動はいまひとつ説明できない。
しかしこのテロップ、前は出ていなかった。
ということは、前は実名で出ていて、それを見た元彼が逆上して、今の彼氏の家を電話帳で調べてストーカー的な問題でも起きたのだろうか。
どうにも最近のバラエティはやらせだか、ほんとうなんだか境界線がぼやけてきている気がするわけで、その理由の一つに仮名の乱発があるような気がする。
「キスいや」の出演者って、仮名だったのか・・・
いや、別にショックを受けるほどのことではないのだが、うーむ、残念。
キスいやってのは、日本テレビの木曜深夜に島田シンスケ司会でやってる、カップル紹介バラエティみたいなの。新婚さんいらっしゃいの、カップル版である。
なんじゃ、よくある素人出演番組やん、と言ってしまえばその通りなのだが、これがまたオモロイのである。
何がおもしろいのかというと、やはり普通のカップルなのに、実にあっけらかんと普段の生活をペラペラしゃべってしまうところだろうか。
こっちのほうがドキドキしてしまうぐらい、出会いから、お互いの隠し事から、なんでもかんでもしゃべってしまう。お互い隠してた浮気をテレビで話すのもどーかと思うのだが・・・。
と、神経ワカラン的なことを言っておきながら、毎回毎回見るとオオワライしてしまう不肖者なのである。
で、仮名な話であるが、まず仮名だと聞いて、急にリアリティが薄れてきてしまった。
ロンブーのがさ入れがやらせだったというのは、もう結構有名な話だと思うが、なんだかそれに近いような気がしてきてしまったのだ。
実はキスいやの出演者もみんなヤラセで、その出演者の周りの人たちだけに、周知の事実になっているかのような、、、いや、別にショックは受けないが、なんだか腹が立ってしまう。
しかし彼らは何に対して仮名にしているのだろう。
顔が出ているわけだから、知り合いには隠しても無駄なわけである。
と、すると自分の知らない人たちに向かって仮名にしているわけで、有名人が芸名を使うのは、自分の家族や両親やらへの配慮のようなものでわかるのだが、普通の人たちが仮名を使うとなんだか悪いことをしているか、危ない組織に関わっているか、アダルトビデオに出ているかなんかの人たちのようではないか。しかしそういう人たちがテレビに出るときは、モザイクがかかっていたり、声が変声期になっていたりと、いろいろ身分を隠す工夫をするわけで、やはり名前かくして顔隠さず的な行動はいまひとつ説明できない。
しかしこのテロップ、前は出ていなかった。
ということは、前は実名で出ていて、それを見た元彼が逆上して、今の彼氏の家を電話帳で調べてストーカー的な問題でも起きたのだろうか。
どうにも最近のバラエティはやらせだか、ほんとうなんだか境界線がぼやけてきている気がするわけで、その理由の一つに仮名の乱発があるような気がする。
カンボジアはなぜかくも危なくアヤシゲなイメージが付きまとうのか
2000年12月25日この日記を書き始めて、いかに自分が根気がなくて、物事をコツコツ進めていくのが苦手かということに気づいて、まったく持って嫌になる。
が、嫌になっていても仕方がない。忙しかったのだ。なかなかパソコンに向かえなかったのだ。少しまたマメに更新しようと誓った日曜であった。
と、終わるのもなんだし、旅行の話も途中なので、話を進める。
今回の、といっても、もう結構前なのだが、目的地はカンボジアであった。
カンボジアといったら、なんだかずいぶんとブッソウなイメージがあるらしい。
「カンボジアに行く」と、人に言う代わりに、「地雷を踏んだらサヨウナラ」というメールを、友人たちに送りまくって出発したのも原因のひとつなのだろうが、「地雷は大丈夫?」とか「内戦終わったの?」とか、もうとにかくブッソウでアブナイ場所に探検か冒険か自殺志望かなんかに思われてしまった。
実際のところを簡単に言うと、そんなに危なくはないのである。
内戦は92年ごろには終わっていたし、選挙のときにNGOのナカタなんとかさんやらが、夜間に移動中に撃たれてなくなったが、あれは実際のところナカタさんが選挙運動に関わっていたからで、選挙にもなにも関わっていない一般の旅行人、特に金のないバックパッカーなんぞは、まあ強盗も標的にすらしないだろう。
(ちなみにナカタさんが撃たれた村は、現在ナカタなんとか村という名前になっており、カンボジアに貢献したナカタさんを称えている)
と、までいうと少し、油断しすぎなのだが、最低限の注意事項を守れば、(夜10時以降は外に出ない。行っちゃいけないところに行かない)、正直なところ、無差別に強盗の起こるアメリカで被害に遭うとか、交通事情のおそろしく悪いKLで交通事故に遭うとかのほうがよっぽど確率が高いのではないかとは思うのである。
それではなんでまたかくもイメージが悪いのか?
はっきり言ってテレビのせいである。
今日もニュースを見ていたら、偶然見てしまった。なんでもプノンペンで邦人が刺されたらしい。詳しいことはわからないが、地元でも有名な不良グループ(?)と、口論になってしまったらしい。
刺された邦人は、重症なものの命には別状がないという。
しかしですねぇ、問題は取り上げ方なのですね。
トップニュースだったのである。
確かに危ないのは、危ないです。刺されてますから。
でもねですね、別に死んでないわけですし、口論になって刺されたというのは、刺されたほうにも日がないとは言い切れないわけです。もしかしたらさした人とは知り合いだったかもしれないわけですよ。
それをトップニュースで、テレ朝萩野アナウンサーが、いつものめがねをとって、深刻な顔で伝えてしまうから、あたかもものすごくブッソウな場所で、通り魔に遭ってしまったかのような、、、そんなイメージが作られてしまうのですよ。
なぜか思わずサトリ口調になってしまったが、こういうことである。
実際カンボジアというのは、日本がよくボランティアに行っていたりと、ニュースバリューが高いそうなのである。
なんで高いのかは、注目度とか、なんか政府の意向とかいろいろと腹黒いインボウかなんかが渦巻いていそうな気がするのだが、そういうことを取り上げられるほどの知識がないので、今回はパス。
とにかくそういう妙な理由で、注目度がたかくなり、さらにあげく悪いニュースばかり取り上げられ
ていたら、その場その場ではニュースバリューがあっても、その後の観光やら、開発やらに、微妙に悪影響が出ると思うのだが。。。
と、いろいろカンボジアを弁護してきたが、いまいち歯切れが悪いのは、僕自身も夜道を歩いていて、妙な車につけられるという経験をしてしまっていたからかもしれない。
まあ、危ない・・・・んかなぁ。。。
が、嫌になっていても仕方がない。忙しかったのだ。なかなかパソコンに向かえなかったのだ。少しまたマメに更新しようと誓った日曜であった。
と、終わるのもなんだし、旅行の話も途中なので、話を進める。
今回の、といっても、もう結構前なのだが、目的地はカンボジアであった。
カンボジアといったら、なんだかずいぶんとブッソウなイメージがあるらしい。
「カンボジアに行く」と、人に言う代わりに、「地雷を踏んだらサヨウナラ」というメールを、友人たちに送りまくって出発したのも原因のひとつなのだろうが、「地雷は大丈夫?」とか「内戦終わったの?」とか、もうとにかくブッソウでアブナイ場所に探検か冒険か自殺志望かなんかに思われてしまった。
実際のところを簡単に言うと、そんなに危なくはないのである。
内戦は92年ごろには終わっていたし、選挙のときにNGOのナカタなんとかさんやらが、夜間に移動中に撃たれてなくなったが、あれは実際のところナカタさんが選挙運動に関わっていたからで、選挙にもなにも関わっていない一般の旅行人、特に金のないバックパッカーなんぞは、まあ強盗も標的にすらしないだろう。
(ちなみにナカタさんが撃たれた村は、現在ナカタなんとか村という名前になっており、カンボジアに貢献したナカタさんを称えている)
と、までいうと少し、油断しすぎなのだが、最低限の注意事項を守れば、(夜10時以降は外に出ない。行っちゃいけないところに行かない)、正直なところ、無差別に強盗の起こるアメリカで被害に遭うとか、交通事情のおそろしく悪いKLで交通事故に遭うとかのほうがよっぽど確率が高いのではないかとは思うのである。
それではなんでまたかくもイメージが悪いのか?
はっきり言ってテレビのせいである。
今日もニュースを見ていたら、偶然見てしまった。なんでもプノンペンで邦人が刺されたらしい。詳しいことはわからないが、地元でも有名な不良グループ(?)と、口論になってしまったらしい。
刺された邦人は、重症なものの命には別状がないという。
しかしですねぇ、問題は取り上げ方なのですね。
トップニュースだったのである。
確かに危ないのは、危ないです。刺されてますから。
でもねですね、別に死んでないわけですし、口論になって刺されたというのは、刺されたほうにも日がないとは言い切れないわけです。もしかしたらさした人とは知り合いだったかもしれないわけですよ。
それをトップニュースで、テレ朝萩野アナウンサーが、いつものめがねをとって、深刻な顔で伝えてしまうから、あたかもものすごくブッソウな場所で、通り魔に遭ってしまったかのような、、、そんなイメージが作られてしまうのですよ。
なぜか思わずサトリ口調になってしまったが、こういうことである。
実際カンボジアというのは、日本がよくボランティアに行っていたりと、ニュースバリューが高いそうなのである。
なんで高いのかは、注目度とか、なんか政府の意向とかいろいろと腹黒いインボウかなんかが渦巻いていそうな気がするのだが、そういうことを取り上げられるほどの知識がないので、今回はパス。
とにかくそういう妙な理由で、注目度がたかくなり、さらにあげく悪いニュースばかり取り上げられ
ていたら、その場その場ではニュースバリューがあっても、その後の観光やら、開発やらに、微妙に悪影響が出ると思うのだが。。。
と、いろいろカンボジアを弁護してきたが、いまいち歯切れが悪いのは、僕自身も夜道を歩いていて、妙な車につけられるという経験をしてしまっていたからかもしれない。
まあ、危ない・・・・んかなぁ。。。
マレーシアというのは何故ああも適当でいいかげんな国なのか
2000年12月10日シンガポールからは、列車でクアラルンプールへと向かった。出発駅のSP駅は、SP内にありながら、もうすでにマレーシア国鉄で、駅の中に入国受け付けなるものがあるらしく、プラットホームの汚さ、3時発のはずなのに、3時30ごろ列車が到着し、4時ごろ出発するいいかげんさが、もうすでにSP国内でない怪しげな雰囲気を醸し出しているのである。
そんな列車の遅れのおかげで、KL駅についたのは、予定よりも30分遅れの、およそ12時。夜のである。走行時間で30分の遅れを取り戻せてしまうところも、また謎である。
初めて来た都市で、しかも外国で、宿もなくあてもなく夜中に到着してしまうほど嫌なことはない。もう二度とするまいと思ったのだが、そんなこと思ってもこの状況は変わらないわけで、タクシータクシーとつぶやきのようなやる気のなさで声をかけてくるタクシー運転手を振り切り、半ば危険管理能力を喪失した状態で、僕はKL市街地へと足を向けた。
と、なぜか突如小説口調になってしまったが、まあ、結論からぱっぱと言ってくと、市街地へ足を向けたつもりが、高速道路の方向へ進んでいってしまい、途中で人に道を聞き聞き歩くも、英語の通じない人が多く、なんだかんだで、2時間ほど歩いて、面倒になって50リンギットもする、中級ホテルに宿を決めたのだ。
もう疲れたわ、夜なので景色は見えないわ、未知行く人は皆強盗に見えるし、SPの町のきれいさとのギャップにびびるわで、まったく持って感覚麻痺の状態で、半分寝ている状態でホテルのベットに倒れこんだというのが実情である。
(予断だが、僕と同じ状況でKLについた、現地で知り合った半日本人は、初めて外国で野宿をしてしまったというから、ここに夜着くと、皆危機管理能力が欠如して、訳がわからなくなってしまうのかもしれない。)
KLの町は、交通ルールがどうにもよろしくない。そのことは着いたその日に気づいていたが、ウインカーは出さないわ、場素通りなのに信号はないわで、どうしようもないのである。そのくせに、道路はしっかりアスファルトなので、スピードは速い。KLにいる間に、連れの日本人は2回バスにはねられそうになり、僕は毎日最低一回はクラクションを鳴らされていた。
いいかげんさは交通だけではない。
詐欺師の方々も、どうにもいいかげんである。というのも、ここでは中年のおばちゃんが、言葉巧みに日本人を誘い出し、賭博をさせたり、偽宝石を交わせたり、悪いときには睡眠薬強盗にあわせるとかで、注意が呼びかけられているとのことだが、その「言葉巧みな誘い文句」とやらが、実にいいかげんなのだ。
おそらく同じ文章が出回っているのだろうが、みんながみんな「私の妹が、京都に(この部分は埼玉のときもあった)住んでいる。日本のことを知りたいからうちにこないか?」と言ってくる。
もう少しバリエーションを作ればいいのに、それで誘えると思っているのだ。
だがついていって、食事を食べさせられそうになって逃げた、という日本人に、何人かあったので、日本人もKLに来るといいかげんになってしまうのかもしれない。
なんだかおこられそうだが、とにかくどうにもなんだかいいかげんな都市だったのだ。
滞在しているときから、いいかげんだなあ、とそのいいかげんな心地よさの中に埋没していたのだが、出国時にあることに気が付いて驚いた。
なんとパスポートに、はんこが押していないのである。しかも入国も、出国も両方ともである。
さらい出入国カードというものが、国に出入りするときには必ず必要だが、それすらも手元に残っている。。。
どうなっているのだ、この国は?
イミグレ(出入国管理局)すらもいいかげんなマレーシアであった。
そんな列車の遅れのおかげで、KL駅についたのは、予定よりも30分遅れの、およそ12時。夜のである。走行時間で30分の遅れを取り戻せてしまうところも、また謎である。
初めて来た都市で、しかも外国で、宿もなくあてもなく夜中に到着してしまうほど嫌なことはない。もう二度とするまいと思ったのだが、そんなこと思ってもこの状況は変わらないわけで、タクシータクシーとつぶやきのようなやる気のなさで声をかけてくるタクシー運転手を振り切り、半ば危険管理能力を喪失した状態で、僕はKL市街地へと足を向けた。
と、なぜか突如小説口調になってしまったが、まあ、結論からぱっぱと言ってくと、市街地へ足を向けたつもりが、高速道路の方向へ進んでいってしまい、途中で人に道を聞き聞き歩くも、英語の通じない人が多く、なんだかんだで、2時間ほど歩いて、面倒になって50リンギットもする、中級ホテルに宿を決めたのだ。
もう疲れたわ、夜なので景色は見えないわ、未知行く人は皆強盗に見えるし、SPの町のきれいさとのギャップにびびるわで、まったく持って感覚麻痺の状態で、半分寝ている状態でホテルのベットに倒れこんだというのが実情である。
(予断だが、僕と同じ状況でKLについた、現地で知り合った半日本人は、初めて外国で野宿をしてしまったというから、ここに夜着くと、皆危機管理能力が欠如して、訳がわからなくなってしまうのかもしれない。)
KLの町は、交通ルールがどうにもよろしくない。そのことは着いたその日に気づいていたが、ウインカーは出さないわ、場素通りなのに信号はないわで、どうしようもないのである。そのくせに、道路はしっかりアスファルトなので、スピードは速い。KLにいる間に、連れの日本人は2回バスにはねられそうになり、僕は毎日最低一回はクラクションを鳴らされていた。
いいかげんさは交通だけではない。
詐欺師の方々も、どうにもいいかげんである。というのも、ここでは中年のおばちゃんが、言葉巧みに日本人を誘い出し、賭博をさせたり、偽宝石を交わせたり、悪いときには睡眠薬強盗にあわせるとかで、注意が呼びかけられているとのことだが、その「言葉巧みな誘い文句」とやらが、実にいいかげんなのだ。
おそらく同じ文章が出回っているのだろうが、みんながみんな「私の妹が、京都に(この部分は埼玉のときもあった)住んでいる。日本のことを知りたいからうちにこないか?」と言ってくる。
もう少しバリエーションを作ればいいのに、それで誘えると思っているのだ。
だがついていって、食事を食べさせられそうになって逃げた、という日本人に、何人かあったので、日本人もKLに来るといいかげんになってしまうのかもしれない。
なんだかおこられそうだが、とにかくどうにもなんだかいいかげんな都市だったのだ。
滞在しているときから、いいかげんだなあ、とそのいいかげんな心地よさの中に埋没していたのだが、出国時にあることに気が付いて驚いた。
なんとパスポートに、はんこが押していないのである。しかも入国も、出国も両方ともである。
さらい出入国カードというものが、国に出入りするときには必ず必要だが、それすらも手元に残っている。。。
どうなっているのだ、この国は?
イミグレ(出入国管理局)すらもいいかげんなマレーシアであった。
シンガポール人はなぜああも映画館でオオワライするのか?
2000年12月9日初の東南アジア第一歩目はシンガポールであった。
東京から6時間だか7時間だかわからないが、長時間飛行機にのり、ついたのは夜の12時。
もうとっくに寒くなっていてもいい時間なのに、ステップを降りているときに、もう体中を東南アジアの空気が包んでいた、、、などと書くと期待と不安の入り混じったスバラシイ第一歩のような聞こえがするかもしれないが、実際には単にむわっとした厚さと湿気の入り混じった、体育が前回休みで二時間連続であったあとの男子更衣室的なむさくるしい空気をイキナリ感じてしまい、もうこりゃまいったなという感じの第一歩だった。
して、シンガポールの感想であるが、今考えると「特にない」という至極無責任なものしかのこっていないのである。
シンガポールはきれいすぎた。
ビル街には、きれいでカラフルな高層ビルが立ち並び、町並みはゴミひとつ落ちておらず、、、と、言いつつも実際は落ちてはいるのだが、日本の町並みと比べてもきれいな部類に入るし、あれですね、えーっと、イコクジョウチョなるものがあまりなかったのだ。
鉄道はなんだか多摩モノレールのようだし、そのモノレールから見える居住空間としての普通の町並みは、カラフルなマンションが立ち並び、これまた多摩ニュータウンのようであった。
違いはと言うと、こっちの多摩ニュータウンには人がたくさんいるということぐらいだろうか。
と、まあ、着いた時には結構感動して、それなりにあっちこっち見てまわったのだが、旅行後の感想としては、こんなもんである。
ほかのところの印象が強すぎたのであろう。
結局一番印象に残ったのは、シンガポールの映画であった。
タイトルは「Chikin Rice War」
単純にタイトルに惹かれ思わず見てしまったが、これがあたりだった。
設定としては、中華街のチキンライスの店同士が売上のためにけんかをしている、というなんともタイトルそのまま的な話だったのだが、この映画がなんともシンガポールの文化を象徴している気がしたのだ。
まず言葉は中国語と、英語。ふたつの公用語をフルに使っている。片方の店が中国語、もう片方が英語で、それぞれのシーンの時には、もう片方の言葉の字幕が出るわけである。中国語オンリーの人も、英語オンリーの人も楽しめるという心遣い。さすが公用語が二つある国は違う。
そしてもうひとつが随所に見られるシンガポールギャグ。
たとえば主人公が緊張している場面がある。
主人公「あー、緊張してきた。おい、おまえガム持ってるか?」
友人1「おいおい、ここはシンガポールだぜ?!」
観客大うけ。会場に響き渡る笑い声。
きれい好きの国シンガポールでは、ガムの販売は禁止されているのである。
こんなローカルな笑いに対して、またシンガポール人がよく笑うのである。まるでみなサクラのようである。
と、ここまで書いてひとつのことに気が付いた。
シンガポールの人口は、およそ300万人。
これは横浜市の人口とほぼ同じである。
横浜市が市民キャストで映画を作ってるようなもんである。
となると、「3件となりの息子さん、映画のエキストラで出てるらしいわよ」
なんてうわさでみんなが見に行って、
「ああ、出てる、出てる」
なんて笑い方をしてる可能性もあるはずである。いや、ある。きっとある。
たった300万人である。映画館の客の半分ぐらいはそうなんじゃないだろうか。
・・・と、無理があるのはわかっている。
が、外見はおとなしそうなシンガポール人が、あれだけ馬鹿ワライしつづけていたことから考えると、あながちうそとも思えないのである。
シンガポール人はアメリカ的オオワライ民族であった。
東京から6時間だか7時間だかわからないが、長時間飛行機にのり、ついたのは夜の12時。
もうとっくに寒くなっていてもいい時間なのに、ステップを降りているときに、もう体中を東南アジアの空気が包んでいた、、、などと書くと期待と不安の入り混じったスバラシイ第一歩のような聞こえがするかもしれないが、実際には単にむわっとした厚さと湿気の入り混じった、体育が前回休みで二時間連続であったあとの男子更衣室的なむさくるしい空気をイキナリ感じてしまい、もうこりゃまいったなという感じの第一歩だった。
して、シンガポールの感想であるが、今考えると「特にない」という至極無責任なものしかのこっていないのである。
シンガポールはきれいすぎた。
ビル街には、きれいでカラフルな高層ビルが立ち並び、町並みはゴミひとつ落ちておらず、、、と、言いつつも実際は落ちてはいるのだが、日本の町並みと比べてもきれいな部類に入るし、あれですね、えーっと、イコクジョウチョなるものがあまりなかったのだ。
鉄道はなんだか多摩モノレールのようだし、そのモノレールから見える居住空間としての普通の町並みは、カラフルなマンションが立ち並び、これまた多摩ニュータウンのようであった。
違いはと言うと、こっちの多摩ニュータウンには人がたくさんいるということぐらいだろうか。
と、まあ、着いた時には結構感動して、それなりにあっちこっち見てまわったのだが、旅行後の感想としては、こんなもんである。
ほかのところの印象が強すぎたのであろう。
結局一番印象に残ったのは、シンガポールの映画であった。
タイトルは「Chikin Rice War」
単純にタイトルに惹かれ思わず見てしまったが、これがあたりだった。
設定としては、中華街のチキンライスの店同士が売上のためにけんかをしている、というなんともタイトルそのまま的な話だったのだが、この映画がなんともシンガポールの文化を象徴している気がしたのだ。
まず言葉は中国語と、英語。ふたつの公用語をフルに使っている。片方の店が中国語、もう片方が英語で、それぞれのシーンの時には、もう片方の言葉の字幕が出るわけである。中国語オンリーの人も、英語オンリーの人も楽しめるという心遣い。さすが公用語が二つある国は違う。
そしてもうひとつが随所に見られるシンガポールギャグ。
たとえば主人公が緊張している場面がある。
主人公「あー、緊張してきた。おい、おまえガム持ってるか?」
友人1「おいおい、ここはシンガポールだぜ?!」
観客大うけ。会場に響き渡る笑い声。
きれい好きの国シンガポールでは、ガムの販売は禁止されているのである。
こんなローカルな笑いに対して、またシンガポール人がよく笑うのである。まるでみなサクラのようである。
と、ここまで書いてひとつのことに気が付いた。
シンガポールの人口は、およそ300万人。
これは横浜市の人口とほぼ同じである。
横浜市が市民キャストで映画を作ってるようなもんである。
となると、「3件となりの息子さん、映画のエキストラで出てるらしいわよ」
なんてうわさでみんなが見に行って、
「ああ、出てる、出てる」
なんて笑い方をしてる可能性もあるはずである。いや、ある。きっとある。
たった300万人である。映画館の客の半分ぐらいはそうなんじゃないだろうか。
・・・と、無理があるのはわかっている。
が、外見はおとなしそうなシンガポール人が、あれだけ馬鹿ワライしつづけていたことから考えると、あながちうそとも思えないのである。
シンガポール人はアメリカ的オオワライ民族であった。
帰ってそうそう日本の「季節」にいちゃもんをつける
2000年12月6日時がたつのは早いもので、もう12月である。
カンボジア行きのチケットを買うとか買わないとか悩んでいたのが、ほぼ一ヶ月前。
やっと日本に帰ってきた。
それにしても寒い。
なんで日本はこんなにも寒いのだろうか。
東南アジアは暑かった。
照り返す日差しは、容赦なく皮膚に襲い掛かり、待ち行く現地人たちはもともと地黒なんだか日焼けなのだかよくわからないが、少なくとも旅行人たる日本人やら白人やらは、顔を真っ赤にさせ、ふうふう言いながら歩き回っていた。
そんな状況にいると、もはや季節感などというものは、ふっとんでしまっていて、天気予報で見るのは今日は雨がくるか、とうことだけ。
まわった都市にはいくつか雨季の真っ最中のところがいくつかあったが、スコールというのは、大体毎日決まった時間にくるもんなので、現地人たちは雨が降ろうが、風が吹こうが、槍が降ろうが、ひょうたんつぎが降ろうがあまり気にしない。
そんなところにいたわけだから、僕も別に天気なんか気にせずに、雨が降ったら雨宿り、降らなかったらテクテク歩く、を繰り返していたのだ。
それにしても日本は暑くなったり、寒くなったり、ご苦労な国である。
「季節」ってのは、昔から風流とか、なにかといい意味で使われることが多かったが、そうでもないかなと思った旅行であった。
気温の変化に合わせて着るものを変えたり、暖房器具をそろえたりするのは、もしかしたら、いや、もしかしなくても時間とお金の無駄である。
いや、無駄と言い切るのも気がひけるが、機能的にのみ考えるとそうである。一年中同じなほうが楽であるし、生活しやすいに決まっている。
まったく持ってすみにくい土地である、日本とは。
と、思わず倒置法を使ってしまった今夜である。
例によって次回がいつかはわからないが、旅で見たこと、聞いたことを、メモ代わりに書いていこうと思う。
忘れるとなんだからなるべく早く書いていこう。と、自分で誓いを立てておこう。
カンボジア行きのチケットを買うとか買わないとか悩んでいたのが、ほぼ一ヶ月前。
やっと日本に帰ってきた。
それにしても寒い。
なんで日本はこんなにも寒いのだろうか。
東南アジアは暑かった。
照り返す日差しは、容赦なく皮膚に襲い掛かり、待ち行く現地人たちはもともと地黒なんだか日焼けなのだかよくわからないが、少なくとも旅行人たる日本人やら白人やらは、顔を真っ赤にさせ、ふうふう言いながら歩き回っていた。
そんな状況にいると、もはや季節感などというものは、ふっとんでしまっていて、天気予報で見るのは今日は雨がくるか、とうことだけ。
まわった都市にはいくつか雨季の真っ最中のところがいくつかあったが、スコールというのは、大体毎日決まった時間にくるもんなので、現地人たちは雨が降ろうが、風が吹こうが、槍が降ろうが、ひょうたんつぎが降ろうがあまり気にしない。
そんなところにいたわけだから、僕も別に天気なんか気にせずに、雨が降ったら雨宿り、降らなかったらテクテク歩く、を繰り返していたのだ。
それにしても日本は暑くなったり、寒くなったり、ご苦労な国である。
「季節」ってのは、昔から風流とか、なにかといい意味で使われることが多かったが、そうでもないかなと思った旅行であった。
気温の変化に合わせて着るものを変えたり、暖房器具をそろえたりするのは、もしかしたら、いや、もしかしなくても時間とお金の無駄である。
いや、無駄と言い切るのも気がひけるが、機能的にのみ考えるとそうである。一年中同じなほうが楽であるし、生活しやすいに決まっている。
まったく持ってすみにくい土地である、日本とは。
と、思わず倒置法を使ってしまった今夜である。
例によって次回がいつかはわからないが、旅で見たこと、聞いたことを、メモ代わりに書いていこうと思う。
忘れるとなんだからなるべく早く書いていこう。と、自分で誓いを立てておこう。
大使館スタイル考
2000年11月13日かんぼじあんしんどろーむに襲われた、と書いたのが、何日前だったかはもう忘れたが、その病気にまたかかった。
しかも今回は治まらなかった。
カンボジア行きチケットを買ってしまった。
いや、直行便は日本から出ていないから、正確に言うと「シンガポール行き、バンコク発、オープンジョーチケット」なるものを買ってしまった。44000円。意外と安い。
前回も書いたが、カンボジアに行くにはビザがいる。今日は赤坂の静かな住宅街にある、カンボジア大使館にビザを取りに行った。
ところが閉まっているのだ。思わず手元の「地○の歩き方」を見る。やはり「土日祝日休館」とある。
なぜ???と、?が3つも4つもついてしまうぐらい首をかしげてしまったのだが、よくよくよくよくよくよく、これまたよくよくが3つも、4つもついてしまうぐらい、確認した。するとなんと今日はカンボジアの祝日であった。知るかい、そんなこと。ここは日本だ。と、つぶやいたからといって、大使館は開かない。
大使館の周りをウロウロしていた不審な男(柵の間から覗いたり、掲示板の前に立ち尽くしたり、我ながら不審であった)は、どうしようもなくさみしげに大使館を後にした。
しかし「大使館」なるものをはじめてみたが、大使館といえども、意外と普通の建物である。
茶色の外壁が、付近の民家よりも多少高いかな、と思ったが、それ以外は普通のマンションと言われてもわからない。
が、やはり大使館は大使館なりの厳かさみたいなものがあって、この大使館の場合、建物の外壁に彫られた、アンコールワットちっくな仏像の彫り物がそうで、それを見たとたん、僕はまだいったこともないカンボジアンな香りを感じてしまったのである。いや、感じた気がしたのである。
やはりこれは、カンボジアの人が、というか大使が、ホームシックにならないように、さらにこう相手の国に「この建物はカンボジアであるぞ!!!」と、微妙に自己主張するために、そのためにはどんな外観がいいであろうか、と頭を悩ませた末に作られたのだろうなぁ。
と、考えると、日本大使館などはどうなっているのだろうか。
やはり「日本らしさ」を微妙に主張した、ジャパニーズな外観になっているのだろうか。とすると、やはり、寺院風とかになってるのだろうか?しかし寺院はインドや中国にもあるから、とするとあれか、やはり城だろうか?カンボジアの、ちょっと舗装があまりされていないようなスラムの入り口とかに、突然安土城とかが現れたら不気味であろうなぁ。さらに外壁には富士山の絵、職員はみな羽織袴にチョンマゲ、、、ということはないだろうが、日本大使館を見るのが楽しみになってきた。カンボジアに行ったら、絶対に見よう。
と、一人ごとになりつつあるので、今日の日記はこれまでということで。
しかも今回は治まらなかった。
カンボジア行きチケットを買ってしまった。
いや、直行便は日本から出ていないから、正確に言うと「シンガポール行き、バンコク発、オープンジョーチケット」なるものを買ってしまった。44000円。意外と安い。
前回も書いたが、カンボジアに行くにはビザがいる。今日は赤坂の静かな住宅街にある、カンボジア大使館にビザを取りに行った。
ところが閉まっているのだ。思わず手元の「地○の歩き方」を見る。やはり「土日祝日休館」とある。
なぜ???と、?が3つも4つもついてしまうぐらい首をかしげてしまったのだが、よくよくよくよくよくよく、これまたよくよくが3つも、4つもついてしまうぐらい、確認した。するとなんと今日はカンボジアの祝日であった。知るかい、そんなこと。ここは日本だ。と、つぶやいたからといって、大使館は開かない。
大使館の周りをウロウロしていた不審な男(柵の間から覗いたり、掲示板の前に立ち尽くしたり、我ながら不審であった)は、どうしようもなくさみしげに大使館を後にした。
しかし「大使館」なるものをはじめてみたが、大使館といえども、意外と普通の建物である。
茶色の外壁が、付近の民家よりも多少高いかな、と思ったが、それ以外は普通のマンションと言われてもわからない。
が、やはり大使館は大使館なりの厳かさみたいなものがあって、この大使館の場合、建物の外壁に彫られた、アンコールワットちっくな仏像の彫り物がそうで、それを見たとたん、僕はまだいったこともないカンボジアンな香りを感じてしまったのである。いや、感じた気がしたのである。
やはりこれは、カンボジアの人が、というか大使が、ホームシックにならないように、さらにこう相手の国に「この建物はカンボジアであるぞ!!!」と、微妙に自己主張するために、そのためにはどんな外観がいいであろうか、と頭を悩ませた末に作られたのだろうなぁ。
と、考えると、日本大使館などはどうなっているのだろうか。
やはり「日本らしさ」を微妙に主張した、ジャパニーズな外観になっているのだろうか。とすると、やはり、寺院風とかになってるのだろうか?しかし寺院はインドや中国にもあるから、とするとあれか、やはり城だろうか?カンボジアの、ちょっと舗装があまりされていないようなスラムの入り口とかに、突然安土城とかが現れたら不気味であろうなぁ。さらに外壁には富士山の絵、職員はみな羽織袴にチョンマゲ、、、ということはないだろうが、日本大使館を見るのが楽しみになってきた。カンボジアに行ったら、絶対に見よう。
と、一人ごとになりつつあるので、今日の日記はこれまでということで。
唐突突如カンボジアンシンドローム
2000年11月9日“旅に出たい”
と、モーレツに思うことがある。
これはもう突然心の内側から湧き上がってくるもので、理由としては学校がだるくなった、朝早起きするのがつらい、嫌なことがあった、どっかの国の首相がオバカだ、とかいろいろあるのだが、とにかくちょっとやそっとでとめられるものではなく、もう突っ走ってしまうのだ。
しかしちょっとやそっとで止められなくても、ちょっとやそっと以上の努力で衝動を収めれば収まるものなので、もしかしたらたいした衝動ではないのかもしれない。
いかんせん単細胞の気分屋の心のうちである。
その旅に出たい病が、先日発病したのだが、ちょっとやそっとの努力で今回は止まった。
ちなみに今回の病状の行き先は「カンボジア」であった。理由としてはいくつか考えられるが、
?アサノタタノブ主演「五条霊戦記」を見た後に、ひさしぶりに懐かしくなって「地雷を踏んだらサヨウナラ」のパンフレットを見た。
?そしてそのいきおいで、「不肖宮嶋著 ああ堂々の自衛隊」を再び読んでしまった。
?最近妙に寒いので暖かい場所にひかれた
と、こんなもんだろう。
?が著者のいいかげんさを表している。とにかくもう寒いのが嫌いなのだ。
そしてその旅に出たい病だが、今回の病状はかなり軽い方だった。
そもそもどんなに行きたいとか思っても、そう簡単に行ける場所ではない。
どのぐらい行きにくいだろうか?
と、ふと思いインターネットで調べてみた。
全日空 プノンペン行き。11月8日現在76000円
・・・これは高いのか?いや、よくわからないが多分高い
カンボジア航空 プノンペン〜シェムリアップ18900円
・・・うーむ、日本でも買えるとはいえ、シェムリアップからアンコールワットまではどうやっていくのか・・・
カンボジア査証取得代行 6000円 取得日数一週間
・・・そう、なんとビザがいるのだ!
カンボディア王国在留邦人の皆様へ
防犯の手引き・・・以下原稿用紙5、60枚分の注意書き、避難場所、などなどがえんえんと続く
これを見て、僕の即席カンボジア情熱はふっとろうそくの炎をかきけすよりも簡単に収まった。
確かに旅には出たいが、体の心配をしてまでいくのもなかなかツライものがある。あれだけの注意書きというか、但し書きというか、もはや後半部分の銃器類がどーの、というくだりは脅しにも近いものを見せられては、さすがに行く気も多少はなえる。
まぁ、今回の旅に出たい病はかくして収まったのである。
と、モーレツに思うことがある。
これはもう突然心の内側から湧き上がってくるもので、理由としては学校がだるくなった、朝早起きするのがつらい、嫌なことがあった、どっかの国の首相がオバカだ、とかいろいろあるのだが、とにかくちょっとやそっとでとめられるものではなく、もう突っ走ってしまうのだ。
しかしちょっとやそっとで止められなくても、ちょっとやそっと以上の努力で衝動を収めれば収まるものなので、もしかしたらたいした衝動ではないのかもしれない。
いかんせん単細胞の気分屋の心のうちである。
その旅に出たい病が、先日発病したのだが、ちょっとやそっとの努力で今回は止まった。
ちなみに今回の病状の行き先は「カンボジア」であった。理由としてはいくつか考えられるが、
?アサノタタノブ主演「五条霊戦記」を見た後に、ひさしぶりに懐かしくなって「地雷を踏んだらサヨウナラ」のパンフレットを見た。
?そしてそのいきおいで、「不肖宮嶋著 ああ堂々の自衛隊」を再び読んでしまった。
?最近妙に寒いので暖かい場所にひかれた
と、こんなもんだろう。
?が著者のいいかげんさを表している。とにかくもう寒いのが嫌いなのだ。
そしてその旅に出たい病だが、今回の病状はかなり軽い方だった。
そもそもどんなに行きたいとか思っても、そう簡単に行ける場所ではない。
どのぐらい行きにくいだろうか?
と、ふと思いインターネットで調べてみた。
全日空 プノンペン行き。11月8日現在76000円
・・・これは高いのか?いや、よくわからないが多分高い
カンボジア航空 プノンペン〜シェムリアップ18900円
・・・うーむ、日本でも買えるとはいえ、シェムリアップからアンコールワットまではどうやっていくのか・・・
カンボジア査証取得代行 6000円 取得日数一週間
・・・そう、なんとビザがいるのだ!
カンボディア王国在留邦人の皆様へ
防犯の手引き・・・以下原稿用紙5、60枚分の注意書き、避難場所、などなどがえんえんと続く
これを見て、僕の即席カンボジア情熱はふっとろうそくの炎をかきけすよりも簡単に収まった。
確かに旅には出たいが、体の心配をしてまでいくのもなかなかツライものがある。あれだけの注意書きというか、但し書きというか、もはや後半部分の銃器類がどーの、というくだりは脅しにも近いものを見せられては、さすがに行く気も多少はなえる。
まぁ、今回の旅に出たい病はかくして収まったのである。
小雨全力疾走的五条霊戦記観戦日記
2000年11月6日今日のことではないから、日記ではないが、ゴジョー霊戦記を見た。
見に言ったのは、某中核都市にある映画館。
行くのは始めてのところだったが、やたらめったらめちゃくちゃはちゃめちゃに映画館が駅から遠い。
なんだか客に来てほしくないみたいだな、と驚いたのだが、なかに入ってさらに驚いた。
受付に人がいない。
思わずそのまま通り過ぎてしまったが、中にいる人たちに悪いし、金をかけてこそ映画だ!というよくわからない信念があったので、一応戻って料金を払った。
それにしてもあれでは経営なりたたないのではないか???謎の多い映画館であった。
と、まあ映画館の話しはこれくらいにして、、、。
アサノ忠信がいいのである。
岩井シュンジ監督の「ピクニック」以来のファンである。
地雷を踏んだらサヨウナラだとか、鮫肌男と・・・とか、チョイ役だが、ラブ&ポップにも出ていた。
とりあえず彼が出ているだけで、まずひかれる。
さらにこの映画には永瀬正敏もでている。
これは日本映画ファンにはたまらないのであろうなあ。別に僕は特別邦画ファンというわけではないのだが・・・
そして映画の中身である。
正直少しダルイ。前半はテンポが遅いのである。
が、後半以降、弁慶が昔の生き方を思い出してからは、テンションと爆発的感情がからみあって、かなりいい感じだった。
派手に人が飛んだりとかはないが、スピード感あふれる演技は、時代劇の殺陣に比べるとスゴイ!の一言である。
運命の下動かざるを得ない主人公たち、それを見守る人々、脇役も個性的。いいとは思うが、後半はパワーで見させられたという感じもしないでもない。
が、多分これは売れないのだろうなぁ。
日本映画にしては、久々にカッコイイ映画だが、いかんせん、前半のわかりにくさが、決定的に痛い。
日本で売れるのは、ハリウッド的わかりやすい物語映画なのであると思う。
感動モノとか、アクションとか、サスペンスとか、物語がないと売れないのだろうなあ。
日本映画は国際的に評価の高いものも、興行収入的にはたいしたことがないものが多い。
日本映画が日本国内で売れるようになるのはいつのことだろうか・・・
特別邦画に詳しいわけでもないのに、日本映画を憂いてしまった。
いろいろ書いてはいるが、僕も楽しい、おもしろい、わかりやすい映画も好きなのである。
まあ、日本人ですから。。。
見に言ったのは、某中核都市にある映画館。
行くのは始めてのところだったが、やたらめったらめちゃくちゃはちゃめちゃに映画館が駅から遠い。
なんだか客に来てほしくないみたいだな、と驚いたのだが、なかに入ってさらに驚いた。
受付に人がいない。
思わずそのまま通り過ぎてしまったが、中にいる人たちに悪いし、金をかけてこそ映画だ!というよくわからない信念があったので、一応戻って料金を払った。
それにしてもあれでは経営なりたたないのではないか???謎の多い映画館であった。
と、まあ映画館の話しはこれくらいにして、、、。
アサノ忠信がいいのである。
岩井シュンジ監督の「ピクニック」以来のファンである。
地雷を踏んだらサヨウナラだとか、鮫肌男と・・・とか、チョイ役だが、ラブ&ポップにも出ていた。
とりあえず彼が出ているだけで、まずひかれる。
さらにこの映画には永瀬正敏もでている。
これは日本映画ファンにはたまらないのであろうなあ。別に僕は特別邦画ファンというわけではないのだが・・・
そして映画の中身である。
正直少しダルイ。前半はテンポが遅いのである。
が、後半以降、弁慶が昔の生き方を思い出してからは、テンションと爆発的感情がからみあって、かなりいい感じだった。
派手に人が飛んだりとかはないが、スピード感あふれる演技は、時代劇の殺陣に比べるとスゴイ!の一言である。
運命の下動かざるを得ない主人公たち、それを見守る人々、脇役も個性的。いいとは思うが、後半はパワーで見させられたという感じもしないでもない。
が、多分これは売れないのだろうなぁ。
日本映画にしては、久々にカッコイイ映画だが、いかんせん、前半のわかりにくさが、決定的に痛い。
日本で売れるのは、ハリウッド的わかりやすい物語映画なのであると思う。
感動モノとか、アクションとか、サスペンスとか、物語がないと売れないのだろうなあ。
日本映画は国際的に評価の高いものも、興行収入的にはたいしたことがないものが多い。
日本映画が日本国内で売れるようになるのはいつのことだろうか・・・
特別邦画に詳しいわけでもないのに、日本映画を憂いてしまった。
いろいろ書いてはいるが、僕も楽しい、おもしろい、わかりやすい映画も好きなのである。
まあ、日本人ですから。。。
怒涛のながら見ドラマ疾走時評秋の陣
2000年11月5日前回の文章読むと、改めて思うが、書きたいほーだい書いてるなー、と、我ながら感心かつあきれかえるのであるが、そもそも意見を言ったり、主張したりすることというのは、そーいうものだと思うので深く考えず書いてみる。
そしてドラマの話しであるが、もう書きたい放題書いてしまったので、イキオイで書いてしまうが、
「そもそもおもろいドラマってのはあるん?」
という、放送局関係者、特にドラマ制作担当は、怒り心頭心頭滅却すれば火もまたスズシ的にお怒りになると思うのだが、どうしてもそう思ってしまうのである。
なんでそう思うか、というと、いくつか理由があるのだが、それを考えるには、朝の連続テレビ小説で考えると考えやすい。
あのドラマは、毎日15分ずつである。問題は毎日、と、15分、である。
やはり作る方としては、毎日、かつ、楽しく、(おもしろく、悲しく、感動して、などでも良いが)見せていかなくてはいけない。
そのためには、毎日15分のなかに山場を作らなくてはならないのだ。すると必然的に山あり谷ありのものすごく多い物語になってしまう。
となると、えーがや小説でもそうだが、そんなに起伏の激しい、しかも単調に起伏の登場する話しがおもしろいか?という、ことになってくるのである。
同じ事が1時間ドラマにも言える。
毎週毎週山場を作らねばならない。「次週予告」をおもしろそうにするのに、精一杯なのである。
これでは冗長になるのは避けられない。
少なくともストーリーモノはキツイというのは確かだろう。
が、おもしろいものもあるのはある。
やはり1話完結&その一話一話がラストで微妙にからまる系の話しはいくつかオモシロイものがある。
最近だとIWGP。世界観を深く深く描いていくのには、ドラマが適してるなと思う一瞬である。いや、3ヶ月である。
あとはキンパチとか、シリーズものがオモシロイ。一人一人の個性が、作品を重ねるごとに深まっていくのは、映画にはできない芸当である。(ツイン・ピークスとか、やたらめったらめっちゃくちゃに続編の出つづけるものもあるが)
冒頭では過激なことを書いたが、ドラマにはドラマの良さがあることはある。
問題は最近のドラマは視聴率がほしいばかりに、無駄に山田を、いや間違った、山場を作って、せっかくの話しを冗長なものにしているものが多いのが残念である。
たまにはこんな「メディア時評」らしきものを書くのも良いもんである。たまにはテレビやら報道やらをネタにしないと「メディア辞表」になってしまう。
しまった、、、今の一文で今日の日記はダイナシである。
そしてドラマの話しであるが、もう書きたい放題書いてしまったので、イキオイで書いてしまうが、
「そもそもおもろいドラマってのはあるん?」
という、放送局関係者、特にドラマ制作担当は、怒り心頭心頭滅却すれば火もまたスズシ的にお怒りになると思うのだが、どうしてもそう思ってしまうのである。
なんでそう思うか、というと、いくつか理由があるのだが、それを考えるには、朝の連続テレビ小説で考えると考えやすい。
あのドラマは、毎日15分ずつである。問題は毎日、と、15分、である。
やはり作る方としては、毎日、かつ、楽しく、(おもしろく、悲しく、感動して、などでも良いが)見せていかなくてはいけない。
そのためには、毎日15分のなかに山場を作らなくてはならないのだ。すると必然的に山あり谷ありのものすごく多い物語になってしまう。
となると、えーがや小説でもそうだが、そんなに起伏の激しい、しかも単調に起伏の登場する話しがおもしろいか?という、ことになってくるのである。
同じ事が1時間ドラマにも言える。
毎週毎週山場を作らねばならない。「次週予告」をおもしろそうにするのに、精一杯なのである。
これでは冗長になるのは避けられない。
少なくともストーリーモノはキツイというのは確かだろう。
が、おもしろいものもあるのはある。
やはり1話完結&その一話一話がラストで微妙にからまる系の話しはいくつかオモシロイものがある。
最近だとIWGP。世界観を深く深く描いていくのには、ドラマが適してるなと思う一瞬である。いや、3ヶ月である。
あとはキンパチとか、シリーズものがオモシロイ。一人一人の個性が、作品を重ねるごとに深まっていくのは、映画にはできない芸当である。(ツイン・ピークスとか、やたらめったらめっちゃくちゃに続編の出つづけるものもあるが)
冒頭では過激なことを書いたが、ドラマにはドラマの良さがあることはある。
問題は最近のドラマは視聴率がほしいばかりに、無駄に山田を、いや間違った、山場を作って、せっかくの話しを冗長なものにしているものが多いのが残念である。
たまにはこんな「メディア時評」らしきものを書くのも良いもんである。たまにはテレビやら報道やらをネタにしないと「メディア辞表」になってしまう。
しまった、、、今の一文で今日の日記はダイナシである。
今日の日記
2000年11月2日1クールに一回はドラマを見ようとばんがって、いや間違えた、がんばって見るのだが、どうにも続かない。
今回久々に続けてみているのがある。
「スタイル」テレ朝木曜九時からである。
比較的ラブストーリーは見ないのである。なんとも気恥ずかしくなってしまうし、あまり面白くないものが多い。
自慢ではないが、「ロンバケ」も「ラブジェネ」も見ていない。(しかしチェックはしてしまうところが、僕の甘いところでもある)
これまで見てきたのは、最近でいうと、「池袋ウエストゲートパーク」「ケイゾク」「氷の世界」「眠れる森」「GTO」(もはや最近ではない)・・・
ほかにも単発で見るものは多いが、ちゃんと続けてとなると、最近ではこんなもんかなぁ。
あ、そうだ「お見合い結婚」もついつい松たかこに引かれてみてしまった。
こうやって見ていると、「不肖5年目」なんて、留年して反省しているようなペンネームを持っていながら、ちぃーっとも反省せずに、テレビばっか見ているということがわかる。だめだなぁ。いや、しかし己のだめさを知ることから全ての道はローマへ通ず。いや、訳がわからない。
本題に戻ろう。
「スタイル」である。
なぜこれを見ているかというと、理由は簡単。「時間が合うから」。
あとは主演の、なんか頭から花が咲くお茶のCMの女の子(竹内なんとかだっけ?)がかわいかったから。
あとはそうだなぁ、比較的イメージで決めちゃうことが多いので、事前の番組宣伝のCMがかっこよかったからかな。
なんかクールだったり、おしゃれなものにトコロテン的に弱いのである。(こう、なんかひきさかれて押し出されて、流されていってしまう感じね)
でも最近のドラマって、結局は「かっこよさ」じゃないのかと思う。
ストーリーでそんなにものすごくおもしろいものも、そうないし、主演男優だってねぇ、、、こう一昔前で言うと、松田ユウサクなんかは国民的ヒーローで、彼が出てるとみんな見るわけですよ。
でも今っていないではないですか。
それでは何で選ぶかと言うと、感覚、センス。結局俳優がすきかきらいか、脚本がすきかきらいか、そんなところだとおもうんである。
ちょっと中途半端だが次回につづく
今回久々に続けてみているのがある。
「スタイル」テレ朝木曜九時からである。
比較的ラブストーリーは見ないのである。なんとも気恥ずかしくなってしまうし、あまり面白くないものが多い。
自慢ではないが、「ロンバケ」も「ラブジェネ」も見ていない。(しかしチェックはしてしまうところが、僕の甘いところでもある)
これまで見てきたのは、最近でいうと、「池袋ウエストゲートパーク」「ケイゾク」「氷の世界」「眠れる森」「GTO」(もはや最近ではない)・・・
ほかにも単発で見るものは多いが、ちゃんと続けてとなると、最近ではこんなもんかなぁ。
あ、そうだ「お見合い結婚」もついつい松たかこに引かれてみてしまった。
こうやって見ていると、「不肖5年目」なんて、留年して反省しているようなペンネームを持っていながら、ちぃーっとも反省せずに、テレビばっか見ているということがわかる。だめだなぁ。いや、しかし己のだめさを知ることから全ての道はローマへ通ず。いや、訳がわからない。
本題に戻ろう。
「スタイル」である。
なぜこれを見ているかというと、理由は簡単。「時間が合うから」。
あとは主演の、なんか頭から花が咲くお茶のCMの女の子(竹内なんとかだっけ?)がかわいかったから。
あとはそうだなぁ、比較的イメージで決めちゃうことが多いので、事前の番組宣伝のCMがかっこよかったからかな。
なんかクールだったり、おしゃれなものにトコロテン的に弱いのである。(こう、なんかひきさかれて押し出されて、流されていってしまう感じね)
でも最近のドラマって、結局は「かっこよさ」じゃないのかと思う。
ストーリーでそんなにものすごくおもしろいものも、そうないし、主演男優だってねぇ、、、こう一昔前で言うと、松田ユウサクなんかは国民的ヒーローで、彼が出てるとみんな見るわけですよ。
でも今っていないではないですか。
それでは何で選ぶかと言うと、感覚、センス。結局俳優がすきかきらいか、脚本がすきかきらいか、そんなところだとおもうんである。
ちょっと中途半端だが次回につづく
懸賞ダラダラ節
2000年10月30日そもそも日記なんてものは、その日あったことを自由気まま奔放的に書くもので、予告なんてするもんではないのだ。ダラダラブラブラ的に書くのが気分がいいのだ。
しかし「予告」と書いてしまった。
しかも今目の前でセブンイレブンの懸賞のCMをやっている。見てしまったからには書かなくてhあならぬだろう。
読者がいったい何人いるのだかわからないが、一応律儀な不肖モノである。
さて、話にはいると、僕は懸賞の当選者を選ぶアルバイトをしたことがある。
といっても、そんなに大それたモノではなくて、映画の試写会である。が、その時に、不公平と言うか、まあ、企業の宣伝なのだから当たり前なのだが、ちと現実を見てしまったのである。
映画の試写会というのは、やはり客が入らないとマズイ。しかも大勢。
そのためには、懸賞の選び方がいろいろあるのだ。
まずちゃんと来そうな人物をたくさん選ぶ必要がある。しかもペア券なので、誰かを誘ってこれる人である。
するとまず20代の女性を多く選ぶことになる。そして30代40代の男性なんかは、選んでも仕方ないことになる。よって除外。
同じ理由で小学生なんかも除外されることになる。確かに金曜19時に小学生が有楽町に来るとは思えないのである。
さらに当選者を選んだあとにも、ひと波瀾は待ち受ける。選んでる人間もそんなにたいした人間でもないのだ。早く仕事を終わらせたい。
よって住所が以上に長い人々、字が汚い方々は、また除外されることになる。
これはもう誰が悪いとかではなくて、多分資本主義の原理なのだ。
よってきれいなかわいい字で「○○のファンです。絶対この映画が見たいのです(ハートマーク)」などと書かれている、18歳女子大生なんかを選んでしまうのも、資本主義的原則に照らし合わせると仕方がないのである。
ということで、懸賞に当たりたければ、スポンサーが一番喜ぶ年齢、職業、さらにはきれいな字で書くのがよろしいようである。
だけどもねぇ、なんというか、懸賞の募集側もですねぇ、こういうことをきちんと言えばいいわけですよ。
当たらないのに出させるのも、ひどいと思うのだがなぁ。
しかし「予告」と書いてしまった。
しかも今目の前でセブンイレブンの懸賞のCMをやっている。見てしまったからには書かなくてhあならぬだろう。
読者がいったい何人いるのだかわからないが、一応律儀な不肖モノである。
さて、話にはいると、僕は懸賞の当選者を選ぶアルバイトをしたことがある。
といっても、そんなに大それたモノではなくて、映画の試写会である。が、その時に、不公平と言うか、まあ、企業の宣伝なのだから当たり前なのだが、ちと現実を見てしまったのである。
映画の試写会というのは、やはり客が入らないとマズイ。しかも大勢。
そのためには、懸賞の選び方がいろいろあるのだ。
まずちゃんと来そうな人物をたくさん選ぶ必要がある。しかもペア券なので、誰かを誘ってこれる人である。
するとまず20代の女性を多く選ぶことになる。そして30代40代の男性なんかは、選んでも仕方ないことになる。よって除外。
同じ理由で小学生なんかも除外されることになる。確かに金曜19時に小学生が有楽町に来るとは思えないのである。
さらに当選者を選んだあとにも、ひと波瀾は待ち受ける。選んでる人間もそんなにたいした人間でもないのだ。早く仕事を終わらせたい。
よって住所が以上に長い人々、字が汚い方々は、また除外されることになる。
これはもう誰が悪いとかではなくて、多分資本主義の原理なのだ。
よってきれいなかわいい字で「○○のファンです。絶対この映画が見たいのです(ハートマーク)」などと書かれている、18歳女子大生なんかを選んでしまうのも、資本主義的原則に照らし合わせると仕方がないのである。
ということで、懸賞に当たりたければ、スポンサーが一番喜ぶ年齢、職業、さらにはきれいな字で書くのがよろしいようである。
だけどもねぇ、なんというか、懸賞の募集側もですねぇ、こういうことをきちんと言えばいいわけですよ。
当たらないのに出させるのも、ひどいと思うのだがなぁ。
一触即発懸賞ノスタルジー考
2000年10月25日よく通うセブンイレブンで、懸賞をやっていることを発見した。
なんでもレシートを300円分集めるとプリペイドカードが、5000円集めると10万円分の旅行券がもらえるらしい。
300円と5000円って、これはまたずいぶんと差があるものだなぁ、と唖然としたが、そんなことはまあどうでもいいが、300円と5000円だと、さすがに5000円に応募する人はあまりいないだろうと思い、発作的に5000円分の弁当やら、雑誌やらを買って応募してしまった。
どうにも不確実なものに、かなりの気合を注ぎ込み、テスト勉強のような、やれば確実に結果の出るものに気合を注ぎ込めないのが、僕の欠点なのだが、ねえ、なんとなく不確実なものが当たるほうがうれしいじゃないですか。
「もれなく」よりも「抽選で」で当たる方がうれしいというか、それは「もれなく」懸賞の商品が一般的にしょぼいからなのかもしれない。
しかしだなあ、懸賞なんてものに気合を入れても仕方がないのは、まぎれもなく動かしがたい事実である。
当選確率というのは、数字で感じる以上に低いのである。
例えばこのセブンイレブンの懸賞で考えてみよう。この旅行券10万円分というのは、1000人に当たる。それでは全国にセブンイレブンは何店あるのかというと、なんと8000店舗もあるのである。
つまりは8店舗につき一人しか当たらない。
ひとつの店でだいたい何人くらいが、この懸賞に応募するのであろうか。
少なく見積もっても、100人ぐらいは出すのであろうなぁ。まずはこのなかから代表に選ばれなくてはならないのである。まず100分の一である。
これを読んでいる人は、自分の母校が甲子園に出られる確率を考えてみよう。
だいたいひとつの県に、普通の大きさならば、100校ぐらいあるのであろうか。そのなかから1校を選ぶために、ひとびとは血のにじむような努力をして、それでも何年に一回出られるンだか、よくわからないが、それはまたとんでもないくらいの低確率なのである。
そしてその100分の1を通過しても、さらに8分の1である。
8分の1の確率の低さを実感するには、就職面接を考えてみよう。
この不肖5年目も面接を受けていた時期があった。集団面接なるものは、だいたい5人ぐらいでやるのだが、5人中一人が受かる面接なんてのは、受かる確率は実に低い。それがさらに8人である。
とある会社で最終面接に8人いたことがあった。ああいうとき、いっしょに受けていた学生と言うのは、みんながみんな実に優秀そうにかつ、賢そうに見えるものである。
この人は受かるんでないのか、と僕が思った人が3人いた。しかし受かったのは一人であった。しかもその3人の中の誰でもない、まったく別の人であった。
よくわからないたとえだが、それぐらい低いのだ。
1000名さまプレゼントなんて言ってみても、当たる確率なんか、就職活動の集団面接の確率よりも低いのだ。
と、言いつつも、旅行券がほしいのだ。
ちょっくら旅行券で旅にでたいのだ。
貯金はほとんどない。
とにかく僕は懸賞に出しつづける毎日をしばらくは送るのである。
次回予告:「懸賞裏話」誰でも平等になんてのは嘘なのである。
なんでもレシートを300円分集めるとプリペイドカードが、5000円集めると10万円分の旅行券がもらえるらしい。
300円と5000円って、これはまたずいぶんと差があるものだなぁ、と唖然としたが、そんなことはまあどうでもいいが、300円と5000円だと、さすがに5000円に応募する人はあまりいないだろうと思い、発作的に5000円分の弁当やら、雑誌やらを買って応募してしまった。
どうにも不確実なものに、かなりの気合を注ぎ込み、テスト勉強のような、やれば確実に結果の出るものに気合を注ぎ込めないのが、僕の欠点なのだが、ねえ、なんとなく不確実なものが当たるほうがうれしいじゃないですか。
「もれなく」よりも「抽選で」で当たる方がうれしいというか、それは「もれなく」懸賞の商品が一般的にしょぼいからなのかもしれない。
しかしだなあ、懸賞なんてものに気合を入れても仕方がないのは、まぎれもなく動かしがたい事実である。
当選確率というのは、数字で感じる以上に低いのである。
例えばこのセブンイレブンの懸賞で考えてみよう。この旅行券10万円分というのは、1000人に当たる。それでは全国にセブンイレブンは何店あるのかというと、なんと8000店舗もあるのである。
つまりは8店舗につき一人しか当たらない。
ひとつの店でだいたい何人くらいが、この懸賞に応募するのであろうか。
少なく見積もっても、100人ぐらいは出すのであろうなぁ。まずはこのなかから代表に選ばれなくてはならないのである。まず100分の一である。
これを読んでいる人は、自分の母校が甲子園に出られる確率を考えてみよう。
だいたいひとつの県に、普通の大きさならば、100校ぐらいあるのであろうか。そのなかから1校を選ぶために、ひとびとは血のにじむような努力をして、それでも何年に一回出られるンだか、よくわからないが、それはまたとんでもないくらいの低確率なのである。
そしてその100分の1を通過しても、さらに8分の1である。
8分の1の確率の低さを実感するには、就職面接を考えてみよう。
この不肖5年目も面接を受けていた時期があった。集団面接なるものは、だいたい5人ぐらいでやるのだが、5人中一人が受かる面接なんてのは、受かる確率は実に低い。それがさらに8人である。
とある会社で最終面接に8人いたことがあった。ああいうとき、いっしょに受けていた学生と言うのは、みんながみんな実に優秀そうにかつ、賢そうに見えるものである。
この人は受かるんでないのか、と僕が思った人が3人いた。しかし受かったのは一人であった。しかもその3人の中の誰でもない、まったく別の人であった。
よくわからないたとえだが、それぐらい低いのだ。
1000名さまプレゼントなんて言ってみても、当たる確率なんか、就職活動の集団面接の確率よりも低いのだ。
と、言いつつも、旅行券がほしいのだ。
ちょっくら旅行券で旅にでたいのだ。
貯金はほとんどない。
とにかく僕は懸賞に出しつづける毎日をしばらくは送るのである。
次回予告:「懸賞裏話」誰でも平等になんてのは嘘なのである。
秋の怒涛の地雷爆破映画日記パート7と2ぶんの1
2000年10月19日パート2というのは、たいていタイトルが同じものの後につくものである。
そしてたいていパート1の続編は、パート2である。
が、今日は7と2ぶんの1である。いや、なんでと聞かれてもそうなのである。
というのも、今日書くのは「マルコヴィッチの穴」についてだからである。
やっぱり訳がわからないかもしれない。映画を見ればわかるのだが、とにかくもう書き始めているので直すのもメンドウなのでこのままである。
ネタバレあり。
映画はストーリーが裏切られるとおもしろいと感じることが多い。
いや、もちろんタイタニックのように、最後に男の人が死んでしまうのだなぁとわかっているものもおもしろい。水戸黄門も最後にミトミツクニコウデアルゾ!とかなんとか勇ましく名乗りあげて、ヘヘーっとなるから安心するすることは確かである。
が、ストーリーが裏切られたときの爽快感というのもなかなかおもしろい。
もしディカプリオが実は生きていて沖に流されはすぐが二人は最後に感動の再開を果たし結ばれる、なんてストーリーになったら、、、これはまたいいではないか。エエーーっつと驚くこと請け合い、かつ感動的ハッピーエンドでよろしいではないか。「あの状態で生きていてはいけない」などとコムズカシイ理屈をこねて怒り出してしまう人はほとんどいないであろう。
が、さらに裏切られて気分爽快なことがある。
ストーリー以上のもの、つまり「ジャンル」である。ちとわかりにくい。説明してみる。
もしディカプリオが実は超合金ロボットで、背中に隠していた翼を広げて、乗客全員を助け出し、船を沈没させたのは実は眠りから覚めた怪獣プルガサリで、そいつを倒すために戦い始めたらどうだろう。きっとさらに波があれて海は大変なことになるのだろうが、映画を見にきたお客さんはもっと大変である。この場合おそらく97%ぐらいまでが、「こんな話がアルカッテンダ!」と怒り出してしまうのだろう。
客の9割ほどが、映画が終わったあとに怒り出してしまうような映画も見てはみたいが、それはおいておいて、まあこういうことである。
悲劇だと思っていたら、実は喜劇だった。とか、ヒーローものだと思っていたら、実は人間の奥底を描くヒューマンドキュメンタリーだったとか、こういう裏切られ方は、結構爽快感をもたらすんでないかなあ。
大変に長い前振りだが、マルコヴィッチはファンタジーだと思っていたら、結構革新的なヒューマンドラマだったのだ。
もちろんディカプリオに羽が生えるほどの裏切られ方ではないが、結構コムズカシイ理屈的哲学話を予想していた僕としては、なかなか楽しめるものであった。
マルコヴィッチの脳につながる穴がオフィスにあったなどという設定自体がおもしろすぎたので、SFチックな説明はいらないということだろう。
しかし超合金のディカプリオおもしろいと思うのだがなあ。
そしてたいていパート1の続編は、パート2である。
が、今日は7と2ぶんの1である。いや、なんでと聞かれてもそうなのである。
というのも、今日書くのは「マルコヴィッチの穴」についてだからである。
やっぱり訳がわからないかもしれない。映画を見ればわかるのだが、とにかくもう書き始めているので直すのもメンドウなのでこのままである。
ネタバレあり。
映画はストーリーが裏切られるとおもしろいと感じることが多い。
いや、もちろんタイタニックのように、最後に男の人が死んでしまうのだなぁとわかっているものもおもしろい。水戸黄門も最後にミトミツクニコウデアルゾ!とかなんとか勇ましく名乗りあげて、ヘヘーっとなるから安心するすることは確かである。
が、ストーリーが裏切られたときの爽快感というのもなかなかおもしろい。
もしディカプリオが実は生きていて沖に流されはすぐが二人は最後に感動の再開を果たし結ばれる、なんてストーリーになったら、、、これはまたいいではないか。エエーーっつと驚くこと請け合い、かつ感動的ハッピーエンドでよろしいではないか。「あの状態で生きていてはいけない」などとコムズカシイ理屈をこねて怒り出してしまう人はほとんどいないであろう。
が、さらに裏切られて気分爽快なことがある。
ストーリー以上のもの、つまり「ジャンル」である。ちとわかりにくい。説明してみる。
もしディカプリオが実は超合金ロボットで、背中に隠していた翼を広げて、乗客全員を助け出し、船を沈没させたのは実は眠りから覚めた怪獣プルガサリで、そいつを倒すために戦い始めたらどうだろう。きっとさらに波があれて海は大変なことになるのだろうが、映画を見にきたお客さんはもっと大変である。この場合おそらく97%ぐらいまでが、「こんな話がアルカッテンダ!」と怒り出してしまうのだろう。
客の9割ほどが、映画が終わったあとに怒り出してしまうような映画も見てはみたいが、それはおいておいて、まあこういうことである。
悲劇だと思っていたら、実は喜劇だった。とか、ヒーローものだと思っていたら、実は人間の奥底を描くヒューマンドキュメンタリーだったとか、こういう裏切られ方は、結構爽快感をもたらすんでないかなあ。
大変に長い前振りだが、マルコヴィッチはファンタジーだと思っていたら、結構革新的なヒューマンドラマだったのだ。
もちろんディカプリオに羽が生えるほどの裏切られ方ではないが、結構コムズカシイ理屈的哲学話を予想していた僕としては、なかなか楽しめるものであった。
マルコヴィッチの脳につながる穴がオフィスにあったなどという設定自体がおもしろすぎたので、SFチックな説明はいらないということだろう。
しかし超合金のディカプリオおもしろいと思うのだがなあ。
たびたび来る新聞勧誘員にはどうにもなじめないのである
2000年10月17日新聞が高いか安いか、いろいろ議論があると思うが、まあ日本中の一般的中流家庭のかたがたは、8割5部ぐらいまでが「安い」と言ってのけるのだろうなあ、とふと思った。
一ヶ月4000円ぐらいで、一ヶ月31日間、晴れの日はもちろん、風の強い日も、雨の降りしきる中では丁寧にビニールに包んで、そして日曜日には貴重な求人情報のチラシをはさんで持ってきてくれる。朝3時おきで毎日毎日配達してくれる人たちは、かなりキツイ仕事をしている部類にはいる。
まあ、4000円ぐらいならいいんでないの、駅で買っても同じ値段のものを、配達してくれるわけだし、と日本中の中流家庭の8割5部ぐらいのかたがたはのたまうのだろう。
しかしやはり新聞が高いと考える人たちもいる訳で僕もその一人である。4000円払うのなら、その分飲み会に一回行けるし、だいたい読もうと思えば学校に行けば読めるのだ。買う必要はない。
が、それもちゃんと学校に言っていればこその話である。さすがに5年も半ばを過ぎると、学校にはあまり行かなくなり、新聞を読める日も減ってきてしまった。
日本人は空気と平和はただだと思っているとか思っていないとか、そんなことはどっちでもいいのだが、人間不自由していない間は、その必要性には気づかないものらしい。
どうも最近隣の家の玄関ポストに、こう丸めて突っ込んである新聞が実にうらやましくなってきた。
そう、新聞を読みたい自分に気がつきはじめたのだ。
ああ思えば昔は、食事中新聞片手に箸を持つのが習慣であったなあ。あのころは比較的勉強熱心であった。もしや転落し始めたのは新聞を読まなくなったからではないだろうか。
あのざらついた手触り、4つ折りにすれば片手に収まる絶妙のサイズ、インクのかすれ具合とそのニオイ、うーむ、恋しい。
と、まで行くと、「ちょっとこの人危ないのではないか」と思われるかもしれないが、ちょっと調子に乗って書いているから、別にここまでのことはない。
しかし活字中毒者の自分としては、どうも新聞がないと落ち着かないのは確かである。
よし、ここはひとつ思い切って新聞をまた取るか。どうせとるならば、中身の濃いい日経でも取るか。
いや、でも新聞のせいで呑み会が一回減るのもくやしい。
いや、そんな飲み会一回ぐらい我慢すれば、一ヶ月間毎日あの灰色のB4サイズのあの絶妙のサイズの物体に触れることができるのだ。(また調子に乗って書いてしまった、ここまでではないので。しつこいようですが)
しかし僕は前半褒めちぎっていた新聞配達の方々が、どうにも苦手なのである。
あの人たちの、あのうさんくさい勧誘はなんなのだろうか。僕は新聞を取ろうと思っていたのに、あの勧誘の仕方のせいで断ってしまったことがある。なんだか余計なものを売りつけられるような気がしてきてしまうのだ。
どうにも小心者の僕は、結局今月も新聞なしで過ごすのである。
一ヶ月4000円ぐらいで、一ヶ月31日間、晴れの日はもちろん、風の強い日も、雨の降りしきる中では丁寧にビニールに包んで、そして日曜日には貴重な求人情報のチラシをはさんで持ってきてくれる。朝3時おきで毎日毎日配達してくれる人たちは、かなりキツイ仕事をしている部類にはいる。
まあ、4000円ぐらいならいいんでないの、駅で買っても同じ値段のものを、配達してくれるわけだし、と日本中の中流家庭の8割5部ぐらいのかたがたはのたまうのだろう。
しかしやはり新聞が高いと考える人たちもいる訳で僕もその一人である。4000円払うのなら、その分飲み会に一回行けるし、だいたい読もうと思えば学校に行けば読めるのだ。買う必要はない。
が、それもちゃんと学校に言っていればこその話である。さすがに5年も半ばを過ぎると、学校にはあまり行かなくなり、新聞を読める日も減ってきてしまった。
日本人は空気と平和はただだと思っているとか思っていないとか、そんなことはどっちでもいいのだが、人間不自由していない間は、その必要性には気づかないものらしい。
どうも最近隣の家の玄関ポストに、こう丸めて突っ込んである新聞が実にうらやましくなってきた。
そう、新聞を読みたい自分に気がつきはじめたのだ。
ああ思えば昔は、食事中新聞片手に箸を持つのが習慣であったなあ。あのころは比較的勉強熱心であった。もしや転落し始めたのは新聞を読まなくなったからではないだろうか。
あのざらついた手触り、4つ折りにすれば片手に収まる絶妙のサイズ、インクのかすれ具合とそのニオイ、うーむ、恋しい。
と、まで行くと、「ちょっとこの人危ないのではないか」と思われるかもしれないが、ちょっと調子に乗って書いているから、別にここまでのことはない。
しかし活字中毒者の自分としては、どうも新聞がないと落ち着かないのは確かである。
よし、ここはひとつ思い切って新聞をまた取るか。どうせとるならば、中身の濃いい日経でも取るか。
いや、でも新聞のせいで呑み会が一回減るのもくやしい。
いや、そんな飲み会一回ぐらい我慢すれば、一ヶ月間毎日あの灰色のB4サイズのあの絶妙のサイズの物体に触れることができるのだ。(また調子に乗って書いてしまった、ここまでではないので。しつこいようですが)
しかし僕は前半褒めちぎっていた新聞配達の方々が、どうにも苦手なのである。
あの人たちの、あのうさんくさい勧誘はなんなのだろうか。僕は新聞を取ろうと思っていたのに、あの勧誘の仕方のせいで断ってしまったことがある。なんだか余計なものを売りつけられるような気がしてきてしまうのだ。
どうにも小心者の僕は、結局今月も新聞なしで過ごすのである。
強制的に納得させられた一日であった。
2000年10月16日やっぱりパソコンはわからないのである。
一見落着、と書いたのは13日。この日は学校から書いていた。
そして家に帰り、モデムをインストールしようとした。が、認識しないのである。
わけがわからず、近くのソフマップに出かけ店員さんに聞いてみる。
片手には説明書、片手には取り外したモデム。よくよく考えるとモデムといっても内蔵モデムである。チップの塊を持っていっても仕方がないのだ。
しかし動転して、妙な感じにテンションがあがっていた僕は、わらにもすがる思い出持っていっていたのだ。
そして症状を説明すること20分。店員さんは理由がわからない。
そして「パソコンを持ってきてくれれば・・・」
と、言われても持っていけないから仕方がない。
あんなものを抱えて電車に乗っていたら、携帯電話よりも迷惑である。だいいち家から駅まで歩いていかなければならない。
仕方がないので店員さんをはしご。
店のはしごはしたことがあるが、店員さんのはしごははじめてである。少しわかりそうな人に話を聞く。
が、やはりわからない。
もはや僕の描写力が悪いのだろう。パソコンの症状を伝えることはできなかった。。。
が、やたらに「が、」の多い文章なのだが多分これで最後だが、家に帰っていろいろいじっていると直ったのである。
アドバイスとは関係なし。サウンドドライバーをインストールした直後であった。
サウンドドライバーはモデムと関係あるのだろうか?
店に聞く前にサウンドドライバーを入れていなかったことを軽く後悔したが、まあ直ったからよしとしよう。と、納得しようとしたが、どうにも納得がいかない。
が、考えても仕方がないので納得するしかないのである。
一見落着、と書いたのは13日。この日は学校から書いていた。
そして家に帰り、モデムをインストールしようとした。が、認識しないのである。
わけがわからず、近くのソフマップに出かけ店員さんに聞いてみる。
片手には説明書、片手には取り外したモデム。よくよく考えるとモデムといっても内蔵モデムである。チップの塊を持っていっても仕方がないのだ。
しかし動転して、妙な感じにテンションがあがっていた僕は、わらにもすがる思い出持っていっていたのだ。
そして症状を説明すること20分。店員さんは理由がわからない。
そして「パソコンを持ってきてくれれば・・・」
と、言われても持っていけないから仕方がない。
あんなものを抱えて電車に乗っていたら、携帯電話よりも迷惑である。だいいち家から駅まで歩いていかなければならない。
仕方がないので店員さんをはしご。
店のはしごはしたことがあるが、店員さんのはしごははじめてである。少しわかりそうな人に話を聞く。
が、やはりわからない。
もはや僕の描写力が悪いのだろう。パソコンの症状を伝えることはできなかった。。。
が、やたらに「が、」の多い文章なのだが多分これで最後だが、家に帰っていろいろいじっていると直ったのである。
アドバイスとは関係なし。サウンドドライバーをインストールした直後であった。
サウンドドライバーはモデムと関係あるのだろうか?
店に聞く前にサウンドドライバーを入れていなかったことを軽く後悔したが、まあ直ったからよしとしよう。と、納得しようとしたが、どうにも納得がいかない。
が、考えても仕方がないので納得するしかないのである。
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「動作保証無し」の壁はやたら大きく立ちはだかったのである。
2000年10月13日今日はなんと10月13日。
丸2週間も日記を休んでしまった。というか、書けなかったのである。
パソコン故障である。
前回の日記を書いた次の日のことであった。いつものごとくパソコンをつけると様子がおかしい。
「はーどでぃすくのよみとりえらーです」
いや、ひらがなで書いてあったわけではないが、はじめてみる文字の羅列は私には平仮名どころかラテン語アラビア語チンプンカンプンであった。
「なにぃ、えらーだとぉ」
と、小さくつぶやいたかどうかは覚えていないが、とにかく何回もつけたり消したり、ガチャガタいじってみた。が、動かない。
しかし不肖私は、以前にアンインストールを失敗したときの教訓から、ハードディスクを二つに分けていた。普通に使う用のCドライブと、保存データ用のDドライブである。もしものことがあっても、Cドライブをフォーマットしてしまえば問題なしという訳である。
しかし、やはり動かない。フォーマットできないのである。スキャンディスクも、必ず36%終わったところで止まってしまう。
もはや両手を上げて寝転がっているパンダ状態、お手上げである。
「これは修理に出すしかないな」
と、部屋でひとしきり散々わめきながら、自分の運の悪さを嘆いたあと、ふとどこへ持っていけばいいのか考えた。
普通なら作っているメーカーに持っていくのだろう。
しかしこのパソコンは、ソフマップ中古店で5万で買ったアウトレット品で、メーカーがどこかなどまったくわからない。そもそも説明書がすべて英語だったのだ。それを辞書と1ラウンド2時間の3ラウンド勝負ぐらい格闘しながら、やっとこさサウンド、モデム、ビデオやらをインストールしたのである。
しかもそのパソコンの箱にはこんな紙切れが入っていたことを思い出した。
「本品は、クロックアップ、他のビデオカードの増設、などにおいて動作保証しません。」
そして買ったパソコン屋の店員はこうも言っていた。
「これは安いけど、保証なしだから、もし壊れてたら2週間以内に持ってこないとなにもできないよー」(ほんとにこう言った。)
壊れてるものを売るなというか、保証無しというのは、こーいうしろーとには手の出ないセイミツ電子機器において、決定的に不利だということはわかっていたのだが、その時は本体価格5万という安さにひかれて買ってしまったのだ。
今さらになって後悔した。
パソコン壊し歴の長い友人に、修理工場を聞いたが、やはりメーカーの工場とのこと。このメリケンブランドのパソコンはどこに持っていけばいいのだろう?
結局ハードディスクを買いなおすことにした。
データはまずあきらめたほうがいいですよ、とパソコン屋の店員には言われた。
何が痛いって、2ギガバイト分のMP3ファイルである。300曲ぐらいははいってるんじゃなかろうか。ああ、こんなことになるならきちんとバックアップを取っておけばよかった。でもCD-Rで焼くのも結構面倒なのだなぁ・・・。
と、哀愁を漂わせながら、片手にハードディスクを抱え岐路を急いだ。
しかし、結果的にデータを取り戻すことはできたのである。
どうもハードディスクは、一部だけ故障しているらしく、スキャンディスクや、フォーマットにかけると必ずとまってしまうのだが、新品のHDの方から起動し、スキャンディスクをかけないで立ち上げたところ、動きはおっとろしくのろいのだが、なんとか動いたのである。
かくしてデータは無事であった。
今度はCD-Rに焼いておこう、と心に誓った出来事であった。
それにしてもHDは、実に安い。
15Gで1万ぴったしぐらいであった。
結果的に僕のパソコンは、HDを大容量に交換したということで、一件落着となったのである。
丸2週間も日記を休んでしまった。というか、書けなかったのである。
パソコン故障である。
前回の日記を書いた次の日のことであった。いつものごとくパソコンをつけると様子がおかしい。
「はーどでぃすくのよみとりえらーです」
いや、ひらがなで書いてあったわけではないが、はじめてみる文字の羅列は私には平仮名どころかラテン語アラビア語チンプンカンプンであった。
「なにぃ、えらーだとぉ」
と、小さくつぶやいたかどうかは覚えていないが、とにかく何回もつけたり消したり、ガチャガタいじってみた。が、動かない。
しかし不肖私は、以前にアンインストールを失敗したときの教訓から、ハードディスクを二つに分けていた。普通に使う用のCドライブと、保存データ用のDドライブである。もしものことがあっても、Cドライブをフォーマットしてしまえば問題なしという訳である。
しかし、やはり動かない。フォーマットできないのである。スキャンディスクも、必ず36%終わったところで止まってしまう。
もはや両手を上げて寝転がっているパンダ状態、お手上げである。
「これは修理に出すしかないな」
と、部屋でひとしきり散々わめきながら、自分の運の悪さを嘆いたあと、ふとどこへ持っていけばいいのか考えた。
普通なら作っているメーカーに持っていくのだろう。
しかしこのパソコンは、ソフマップ中古店で5万で買ったアウトレット品で、メーカーがどこかなどまったくわからない。そもそも説明書がすべて英語だったのだ。それを辞書と1ラウンド2時間の3ラウンド勝負ぐらい格闘しながら、やっとこさサウンド、モデム、ビデオやらをインストールしたのである。
しかもそのパソコンの箱にはこんな紙切れが入っていたことを思い出した。
「本品は、クロックアップ、他のビデオカードの増設、などにおいて動作保証しません。」
そして買ったパソコン屋の店員はこうも言っていた。
「これは安いけど、保証なしだから、もし壊れてたら2週間以内に持ってこないとなにもできないよー」(ほんとにこう言った。)
壊れてるものを売るなというか、保証無しというのは、こーいうしろーとには手の出ないセイミツ電子機器において、決定的に不利だということはわかっていたのだが、その時は本体価格5万という安さにひかれて買ってしまったのだ。
今さらになって後悔した。
パソコン壊し歴の長い友人に、修理工場を聞いたが、やはりメーカーの工場とのこと。このメリケンブランドのパソコンはどこに持っていけばいいのだろう?
結局ハードディスクを買いなおすことにした。
データはまずあきらめたほうがいいですよ、とパソコン屋の店員には言われた。
何が痛いって、2ギガバイト分のMP3ファイルである。300曲ぐらいははいってるんじゃなかろうか。ああ、こんなことになるならきちんとバックアップを取っておけばよかった。でもCD-Rで焼くのも結構面倒なのだなぁ・・・。
と、哀愁を漂わせながら、片手にハードディスクを抱え岐路を急いだ。
しかし、結果的にデータを取り戻すことはできたのである。
どうもハードディスクは、一部だけ故障しているらしく、スキャンディスクや、フォーマットにかけると必ずとまってしまうのだが、新品のHDの方から起動し、スキャンディスクをかけないで立ち上げたところ、動きはおっとろしくのろいのだが、なんとか動いたのである。
かくしてデータは無事であった。
今度はCD-Rに焼いておこう、と心に誓った出来事であった。
それにしてもHDは、実に安い。
15Gで1万ぴったしぐらいであった。
結果的に僕のパソコンは、HDを大容量に交換したということで、一件落着となったのである。
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交通取締りノルマ倍増キャンペーンは、町を少しすすけた灰色にするのである。
2000年9月28日ここ一週間ぐらい警察の方々が忙しく働いているようである。
なんでも交通安全キャンペーンみたいなものを、やっているようなのである。
なんで「いるようなのである」と、妙に婉曲的な表現をしているのかというと、どうにもこの「キャンペーン」という単語に違和感というものを感じてしまうからなのである。
なんでまたキャンペーンなのであろうか。ストレートに「交通取締りノルマ倍増期間」などとしてしまえばいいではないか。
と、しょっぱなから警察関係の方々にけんかを売っているかのような書き出しになってしまったが、別にそういうつもりはない。が、どうにも苦手なのは確かである。
なんで苦手であるか。
別に僕に前科があるとか、警察官に脅されたとか、もみ消しの現場を見てしまったとか、そういうわけではない。
じゃあなんで苦手なのだ?と、言われても困るのであるが、簡潔に説明すると、あの方々が交通取締りをする時には、こう、ほら、町中の角という角に一人一人がびしっと、かかしのように立って、眼鏡の奥の目をサーチライトのようにギロギロと光らせて、走る車という車のナンバープレートから乗ってる人まで、バシッ、バシッっと「おまえら俺の気にくわねぇことはしてねぇだろうな、てやんでぃ、ばーろー」と、なんで江戸っ子なんだかわからないが、そういう雰囲気の視線を送ったり、団体でスピード違反の取締りをやっている時は、あのスピードガンをのよーな速度計を、やはり来る車来る車に照準を合わせ、「おらおらおら、俺はずーっとこの格好で暇なんだよ。本官を楽しませるためにも、飛ばして来いよー」と、言ってるかのようなスナイパーと、そのスナイパーに不幸にも打たれてしまった人たちを「おらおらこっちこいよー」と誘導するごっつい角刈り本官に、調書をいかにもだるそうに書かせている、これまた分厚い眼鏡をかけて、そのレンズの奥の目はひし形をつぶしたような濁り目が光っているような怪しげな警官などなど、こんな光景を1日に4回も5回も目にしてしまうのである。これで苦手にならないほうが不思議である。
と、まったく簡潔な説明ではなかったが、こういうことである。
そしてさらに取り締まりノルマ倍増キャンペーンの、キャンペーンポスターに、モーニング娘。が採用されているところが、またさらに腹立ち度倍増を助長させるのである。
もはやなんでもかんでもモー娘。を採用すればよいと思っているのである。
うーむ、なんだか今日は妙にけんか腰の文章になってしまったなあ。これはよくない。
一応フォローしておくと、警察官も駅前で未道を聞くときには実に親切に対応してくれるのだ。僕は初めて来た場所で道がわからなくなった時は、迷わず駅前鋼板に聞きに行くので、(僕はメンドウなので、地図はほとんど見ない)そんなときの彼らの親切な対応は本当にありがたいのだ。
交番に一歩足を踏み入れると、それまで雑談猥談微笑苦笑していた制服の警察官の方々が、いっせいにこっちをぎょろっと見て、なんだ道なんかいちいち聞きにくんあよ、という目でこっちを見たりとかいうことがないのが素晴らしく良い。
って、やはり今日はなんだかけんか腰の日であるなあ。もうしかたがない。こんな日もあるのである。
とにもかくにも、こうして秋の始まりを告げる涼しい風とともにやってきたケーカンの群れは、今日もわが町を占拠しつづけているのである。
なんでも交通安全キャンペーンみたいなものを、やっているようなのである。
なんで「いるようなのである」と、妙に婉曲的な表現をしているのかというと、どうにもこの「キャンペーン」という単語に違和感というものを感じてしまうからなのである。
なんでまたキャンペーンなのであろうか。ストレートに「交通取締りノルマ倍増期間」などとしてしまえばいいではないか。
と、しょっぱなから警察関係の方々にけんかを売っているかのような書き出しになってしまったが、別にそういうつもりはない。が、どうにも苦手なのは確かである。
なんで苦手であるか。
別に僕に前科があるとか、警察官に脅されたとか、もみ消しの現場を見てしまったとか、そういうわけではない。
じゃあなんで苦手なのだ?と、言われても困るのであるが、簡潔に説明すると、あの方々が交通取締りをする時には、こう、ほら、町中の角という角に一人一人がびしっと、かかしのように立って、眼鏡の奥の目をサーチライトのようにギロギロと光らせて、走る車という車のナンバープレートから乗ってる人まで、バシッ、バシッっと「おまえら俺の気にくわねぇことはしてねぇだろうな、てやんでぃ、ばーろー」と、なんで江戸っ子なんだかわからないが、そういう雰囲気の視線を送ったり、団体でスピード違反の取締りをやっている時は、あのスピードガンをのよーな速度計を、やはり来る車来る車に照準を合わせ、「おらおらおら、俺はずーっとこの格好で暇なんだよ。本官を楽しませるためにも、飛ばして来いよー」と、言ってるかのようなスナイパーと、そのスナイパーに不幸にも打たれてしまった人たちを「おらおらこっちこいよー」と誘導するごっつい角刈り本官に、調書をいかにもだるそうに書かせている、これまた分厚い眼鏡をかけて、そのレンズの奥の目はひし形をつぶしたような濁り目が光っているような怪しげな警官などなど、こんな光景を1日に4回も5回も目にしてしまうのである。これで苦手にならないほうが不思議である。
と、まったく簡潔な説明ではなかったが、こういうことである。
そしてさらに取り締まりノルマ倍増キャンペーンの、キャンペーンポスターに、モーニング娘。が採用されているところが、またさらに腹立ち度倍増を助長させるのである。
もはやなんでもかんでもモー娘。を採用すればよいと思っているのである。
うーむ、なんだか今日は妙にけんか腰の文章になってしまったなあ。これはよくない。
一応フォローしておくと、警察官も駅前で未道を聞くときには実に親切に対応してくれるのだ。僕は初めて来た場所で道がわからなくなった時は、迷わず駅前鋼板に聞きに行くので、(僕はメンドウなので、地図はほとんど見ない)そんなときの彼らの親切な対応は本当にありがたいのだ。
交番に一歩足を踏み入れると、それまで雑談猥談微笑苦笑していた制服の警察官の方々が、いっせいにこっちをぎょろっと見て、なんだ道なんかいちいち聞きにくんあよ、という目でこっちを見たりとかいうことがないのが素晴らしく良い。
って、やはり今日はなんだかけんか腰の日であるなあ。もうしかたがない。こんな日もあるのである。
とにもかくにも、こうして秋の始まりを告げる涼しい風とともにやってきたケーカンの群れは、今日もわが町を占拠しつづけているのである。
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