自動書記的いきあたりばったり文章
2000年9月14日暑かった夏も過ぎ、秋がやってくる。夏については「夏が来る」という曲があったりと、向こうからやってくるものなのに、秋については「秋が来る」とはあまり言わないのはなんでであろう。
なんだかあたかも季節諸々の風物詩を語るエッセイのような出だしではないか。うーむ、少し乗ってきた。前回の日記は硬いテーマで「なのかもしれない」などと、かっこいい終わり方をしたので、昨日は文章を書き込むパワーがなくなっていたのである。
やはり文章を書くのはパワーがいる。というか、僕は文章を書くのがすこぶる苦手である。どうも僕の文章は主語と述語がものすごく離れるわ、修飾語がおかしいわ、どうにも一文一文が長くなってしまうのである。多分キーボードを打つスピードが早いからだと思うのだが、書きすぎてしまうのである。だから文章を書くには、えいやとお腹の下に力を入れて、よいしょと気合をいれなくてはならないのである。よって僕は激しいメール不精である。ちょっとの長さのメールを書くのにも、えらく時間がかかってしまうのである。
しかしこの日記のような雑文を書くぶんには、パワーを使わないで書ける。この日記の文章はほとんど推敲もせず、構想も考えず、ただただ指の動くまま書くという自動書記的いきあたりばったり文章なのである。一日の日記にかける時間はだいたい10分いないに抑えられるように頑張っている。
考えてみると、僕の周りにはどうにもいきあたりばったり文章人間が多い気がする。自動書記的いきあたりばったり人間の書く文章と言うのは、?考えずにだらだらとただ気の向くまま書いているので、妙に長い文章になる?テレビを見ながら、パソコンに上の空で書いているので、論理展開、文章構造がなってなく、ゆってることに一貫性のない多重人格的意味不明文章になっている場合が多い。?、は、たったさっきまで覚えていたのに、ふと画面を見た瞬間に忘れてしまった。
とにもかくにもこんな具合なのである。全く読んでくれている人に感謝である。いや、大感謝である。
ところで冒頭の話はなんだったんだ、と思う方がいらっしゃるだろう。書こうと思ったが、こんな話になってしまったので、次の日の分として。またどうにも長くなってしまった。少し反省自戒が必要である。
なんだかあたかも季節諸々の風物詩を語るエッセイのような出だしではないか。うーむ、少し乗ってきた。前回の日記は硬いテーマで「なのかもしれない」などと、かっこいい終わり方をしたので、昨日は文章を書き込むパワーがなくなっていたのである。
やはり文章を書くのはパワーがいる。というか、僕は文章を書くのがすこぶる苦手である。どうも僕の文章は主語と述語がものすごく離れるわ、修飾語がおかしいわ、どうにも一文一文が長くなってしまうのである。多分キーボードを打つスピードが早いからだと思うのだが、書きすぎてしまうのである。だから文章を書くには、えいやとお腹の下に力を入れて、よいしょと気合をいれなくてはならないのである。よって僕は激しいメール不精である。ちょっとの長さのメールを書くのにも、えらく時間がかかってしまうのである。
しかしこの日記のような雑文を書くぶんには、パワーを使わないで書ける。この日記の文章はほとんど推敲もせず、構想も考えず、ただただ指の動くまま書くという自動書記的いきあたりばったり文章なのである。一日の日記にかける時間はだいたい10分いないに抑えられるように頑張っている。
考えてみると、僕の周りにはどうにもいきあたりばったり文章人間が多い気がする。自動書記的いきあたりばったり人間の書く文章と言うのは、?考えずにだらだらとただ気の向くまま書いているので、妙に長い文章になる?テレビを見ながら、パソコンに上の空で書いているので、論理展開、文章構造がなってなく、ゆってることに一貫性のない多重人格的意味不明文章になっている場合が多い。?、は、たったさっきまで覚えていたのに、ふと画面を見た瞬間に忘れてしまった。
とにもかくにもこんな具合なのである。全く読んでくれている人に感謝である。いや、大感謝である。
ところで冒頭の話はなんだったんだ、と思う方がいらっしゃるだろう。書こうと思ったが、こんな話になってしまったので、次の日の分として。またどうにも長くなってしまった。少し反省自戒が必要である。
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